幸宏さんの死に想う

幸宏さんが亡くなったなあ。

ご存じかもですが、あの人は、お兄さんと一緒になって、いろんな人をつなぐハブのような役割を70年代初めごろは行ってたようで。

 もともとは彼のお兄さん・高橋信之。お金持ちの子弟で組まれたフィンガーズにいた人で、フィンガーズはあのブリジストンの御曹司の成毛滋さん、横浜の華僑の子で、子供のユーミンが追っかけしてたシー・ユー・チェンさんたちがいたバンド。彼らは個々でも影響力のあった人たちで、例えば成毛さんとシーユーさんは69年のウッドストックに参加した稀有な人で、成毛さんは帰国してからは日本のトップ・ロックギタリストとしてアマチュアに絶大な影響を与えてる。

 で、信之さん。慶応高校時代にフィンガーズでドラムを担当し、大学では影山民夫さんたちと伝説のイベント集団「風林火山」を運営、最先端のサブカルチャーを紹介していった人。なので当然、高橋家は信之さんの知己が常にうろうろしてると。その中には慶応の後輩・松本隆さんもいたり、民夫さんが出ていた「ヤング720」関係の人たちもいたり。やっぱりそんな中では、おそらく当時の日本で最先端の欧米の情報が集まってたんよな。

 有名な話で、高校生の幸宏さんと細野さんは、風林火山主催・68年夏の軽井沢でのダンスパーティの仕事で出会ってるんやけど、その時に幸宏さんたちがやってたのが、日本ではまだレコードが出てなかったはずのスライ&ザ・ファミリーストーンの曲で、それに興味持った細野さんからのアプローチだったと。ちなみにそのパーティ仕事に集まったバンドの中には、林立夫さん、鈴木茂さん、のちのバズの東郷さんたちもいたという、まあとんでもない集団で。

 そんな風に、お兄さんの関係で幸宏さんの周りには自然と凄い人たちが集まってたわけですが、彼らの音楽を仕事にまで高めたのは信之さん。大学卒業後も、プロデューサーとしてまずはCM業界に足を置き、自分の知己があるミュージシャンを次々に使っていく。有名なのはバズのケンメリ「愛と風のように」。あのニールヤングまるまるパクリのサウンドは、林立夫小原礼リズムセクションらしい。影山民夫さんの友達・加藤和彦さんもそんな流れの中で知り合い、それがミカバンドとつながっていったみたいで。

 ごちゃごちゃしたけど、要は、プロデューサー信之さんの大学人脈と、幸宏さんの友人人脈が自然に融合して、東京の音楽集団の一つができていったと。東京っ子の達郎さんがよく言う「山の手ぼっちゃんミュージシャン」集団ね。こう見てくると、高橋兄弟がティン・パン・アレイを作ったともいえるんよなあ。

  

 

 

ライヴを体感すること

YOUTUBEってのは、罪作りなメディアでね。あるミュージシャンの、本人なら見せたくないようなものまでどんどんアップされてるわなあ。

今日も、きっかけは最近ぐりぐりにはまってるデレクトラックス関係を探そうとおもってみてると、まずはこんなことあっていいのかどうか分からんけど、クラプトンバンドの一員でデレクトラックスが今ワールドツアー回ってるから、この夏のヨーロッパツアーの映像がもうアップされてて、僕はその一連のでもう数曲、このバンドのライヴを見てしもた。

見れたのは、4箇所からの6曲くらい。で、別のデータベースには、5月5日から7月31日までのセットリストがもう上がってるし、どうも会場録音レヴェルではトレードも始まってるみたい(会員制)。それ見てると、今回は曲目がほぼ固定に近いスタイルで、アンコールで徐々に増やして行ってるみたいやね。で、僕にとっての最大の関心事は「レイラ」や「マザーレス・チルドレン」でデレクがどう出るか、うん、スライドでどう来るかなわけやけど、いやあ、素晴らしいです。それはもう予想以上に。

 とまあ、今日も収穫ありまくりのYOUTUBEでしたが。こういう状態が今後あたりまえになったら、ライヴ観戦の心理状態もやや変わるかもしれんなあと思ったんよなあ。予習段階で、大枠がわかってしまうライヴに行くわけやから、進行上のスリルとか、メンバーの組み合わせ上の新鮮さは、若干減るからね。ただ、こうやってUPされるライヴ映像や音源は、「過去のライヴ記録」でしかないから。それを僕らはリラックスしてボーッと部屋で見ているだけなんで、ライヴを見たとは絶対にいえないんでね。

ライヴってのはその日その場所で一回だけのもんで、それはつまり僕ら観客とアーティストの邂逅が、その日にしかないことからの化学反応なんでね。よく、こんだけ事前に見えてしまったら行くことないとか、TVでまたやるしなあとかいうバカがいるけど、それは根本を間違ってるから。そして、その根本まちがいしてるヤツラが、日本にはものすごく多いんよなあ。 そこにいないとライヴを「見た」ことにならんのよ、みなさん。ライヴは時間と空間の共有やからね。

例えば城ホールまで車で出かけてライヴを見るとなると、その日一日全体がイベントやんか。距離に関係なくね。開場されて、グッズ見に行ったり、待ち合わせた人を探したり、思わぬおいしいもの買えたり。もうここからライヴって始まってるやん。で、ストーンズみたいに出マチのSEが全部シカゴブルーズやったりして場の空気が変わっていって、ライヴが始まるんやんか。僕らはそんな時間を買うわけやん。うん、特別な時間をね。だから、誰のライヴでもいいけど、当日その場にいた人にとって、その日のライヴは「最高やった」で、僕はいいと思うで。 ステージ上からアーティストがお客さんを貶めない限りはね。

話は変わるけど。最近、日本のアーティストのライヴにマナーの変なヤツらが来るんやわ、って聞いたんやけど。日本のビッグネームね。その人たちは、僕に言わせれば、アーティストとの邂逅を特別な時間に思っていない、日常生活の延長でライヴに行くような、想像力・感受性の極めて低いやつらで、そんなヤツらが音楽を感じられているとは思いがたい。恐らく容姿のような目に見える部分を主に好きなんでしょうね。音楽はその次という。ああ、そうそう、あれと同じや、甲子園大会の「ハンカチ王子」ね。147キロのストレートを延長15回に外角低めに決められるピッチャーやのに、その実力より見てくれが広まるという勘違いね。騒いでいるあんたはエアコンの部屋にいるんやで。

こいつらが困るのは、想像力が低いから、他のお客さんがどれだけライヴの時間を貴重に思っているか分からないんよなあ。だから傍若無人な振る舞いを平気でしていることにも気がつかない。聞いた話では、ケータイの撮影はするわお菓子は持ちこみでバリバリいわせてるわ、もちろんオーディエンス録音するわ。

そういえば、大分前に山崎まさよし見たときも、なんかアンコールでバレーボールの「ちゃちゃちゃ」あるやん、あれみたいのがあって、それがセカンドラインみたいにカッコエエ!っていうハンドクラップやったら「オー!」って思ったろうけど、恥ずかしいくらいビートがないんよ。リズム音痴ね、はっきり。きょうび、甲子園のライトスタンドでももっとビート感あるでっていう。で、お客さんは殆ど失笑して協力しない。協力しないから、やってるヤツラ、強要するように必死で続ける。これなんか、他者への想像力の欠落やわな。「空気読めんか?」っていう。僕はその日、素晴らしい音楽を聞かせてくれた山崎まさよしを可哀相に思った。そこが問題なんよな。僕のように、音楽はいいけどライヴの体感はカンベンしてくれって思う人が出てくることがね。

そんなファンをもつアーティストは、ファンたちにゆっくりと時代から離されていって、ファンの世代交代も少なくなって、ある世代の愛玩物になることが多いのは、皆さんもご存知だと思うのですが。例えばジュリー。例えば渡辺美里。例えばアルフィー。彼らが今でもコンサートを満員の観客の前でやっているのを知ってますか? でも新しい曲は僕らに届いてこないですよね?そういった事です、言いたいのは。閉じた円環の中でアーティストを囲んでいると、アーティストの表現生命は衰弱しますよーってね。好きなアーティストに、常に最前線に居てもらいたいなら、新しいファンでもすんなりそこに居れるような空気を作ったらいいのに。自分がよけりゃいい、だけでは、貴重なライヴの場が死にますよ。

そして最後に、アーティストを殺しますよ。

男くさいって、わかるかい?

「忘れ物は もう ありませんねと 機関車は走るのです・・・」 ふいにこの歌を思い出した。小坂 忠さんの「機関車」。僕の中での「日本の名歌100」に、間違いなく入ってくる歌なんやけどね。オリジナルは71年かな?忠さんのソロデビューアルバムやったか。で、それ以来、彼のバージョンだけでも3つくらいは知っているかな?矢野顕子大村憲司という素晴らしいのもあったな。

 今日、頭の中に出てきたのは、74年の池袋:ホーボーズコンサートでのライヴバージョン。当時、恐らく日本でもっともザ・バンドに近い音を出すといわれた葡萄畑というバンドをバックにしたライヴが、数曲アルバムになってて、それを僕と弟はよーく聴いてて。一度終わってからまた始まるギターソロが素晴らしくて、このバージョンを思い出したら、必ず最後まで思い出すなあ。

 小坂 忠さんは、凄く端正なヴォーカリストやと思う。それに、とても東京を感じさせるヴォーカリスト。黒人音楽を好きな歌い手にありがちな、フェイクで自分のスタイルを創っていくってのが、どちらかというと西日本中心のスタイルなら、東京はまず徹底的にメロディを大事にする人が多いと思う。で、その上で、ほんの少し、フェイクを入れてくる感じ。それが物足りないかというと、全然そんな事なくて、メロディを丁寧にパワフルに歌ってくるから、歌の輪郭がぶっといんよな。それが凄くいい味になる。

 例えば有山さんとかユウカだった木村さんとかは、ヴォーカルに独自な「間」とか「クセ」を持ってるやん?それも凄く好きで、それを編み上げた人たちには敬意を感じる。自分だけのスタイルやもんね。関東のソウルシンギングは、その対極にあると思うっていうことを言いたかっただけで、僕はどっちも好き。優劣はないです。

 ティンパンをバックに作った74年の名作「ほうろう」くらいから、忠さんのヴォーカルは凄くストイックに響くようになった。無骨なまでの、メロディ主義。でもそのことが、「ほうろう」を時間を超えた名作にしているとも思う。
ずーっと前に書いたんやけど、数年前に出た驚異の新譜「ピープル」も、全然変わらない歌い方で、もう一回りぶっとく歌が響いてきたなあ。

 ただ、この人の歌は、地味に響くと思う。まともすぎるくらいまともな歌い方と、歌詞の誠実さがそうしていると思う。でも、ムカシから時空を越える音楽って、そんなものだったと思う。最近がおかしいだけでね。ザ・バンドに象徴されるような、滋味の深い無駄のない音楽と、強いヴォーカル。この人だけではなく、要らないものを削いでいったら、みんなそんな音楽になるんやけどね。

 忠さんの歌、聴きたいなあ。ライヴで。
 その横に、恭蔵さんがいてくれたら、もっといいけど。
 このデュオが、聴きたかったなあ。

3人の、血。

 さいきん、またもウルフルズです。「サムライ・ソウル」いいですね。いくつかの気になるバンドやシンガーはいるわけです、最近でも。ただ、もうひとつ乗り越えてくれ!って思うことも多いんよ。ウルフルズはその一線を超えてきたと思う。ベースの人がバンドに戻ったくらいからの彼らの吹っ切れ方がいいなあ。彼らのいい所。それは「継承して、血にしている」よさやと思います。奥田タミオ。彼にもそれを感じる。

 トータス松本は、10台最後の頃から、自分は黒人音楽が好きなんやって自覚したらしいです。でもそれをどう表現していいのか分からない時期があったと。そらそうやろ。80年代の後半といえば、60年代までのR&Bなんて、尊敬はされつつもだれも振り向きもしなかったもんな。だから若い彼の周りには理解者が少なかったと思う。タミオ君もそう。彼の場合は70年代ロックやろうね。 彼らがどうやって支持されて来たのかを考えると、実はシブヤ系と呼ばれた90年代東京の動きがひとつの鍵ではなかったかと思うのです。

 オリジナル・ラヴというバンドが、ピチカート周辺から出てきたのは80年代後半。彼らには初めから70年代ソウルの匂いがありました。それもニューソウルと呼ばれた、グルーヴが気持いいゴージャスな音楽が。それに、フリッパーズギターの音楽再発掘がカブって、90年代初頭の東京では70年代初頭のソウルのノリをレアグルーヴなんていう呼び方で持ち上げるムードがあった。フリッパーズの二人の音楽博覧は強力で、時間軸を全部ヨコナラベにして当時の若い子達に古いいい音楽を提示した印象があります。

 そんななかから、例えば和田アキコの再評価や、はっぴいえんどの神格化があったし、もちろんGSの中のいいバンドの再紹介や、挙句に金延幸子の「み空」という、URCの中でもゼンゼン売れていなかったアルバムが結構売れたりしていきました。うん。90年代前半は、日本のロック黎明期であった70年代の、洋楽邦楽取り混ぜた再紹介の時期でもあったと思います。このことがタミオ君やトータスには追い風になったと思うな。つまり、「ガッツだぜ」のあのディスコサウンドや、「Eジューライダー」のフォークロックなんて、そういった70年代ロックの浸透がなかったらヒットは絶対にムリやったと思うんよ。

 でもね。そこまでならタイミングが良かった一発屋や、ただの。この二人の凄いところは、ソウルならソウルの語り口や考え方に立って歌詞を書いていたり、ロックならロックの作風の本質を踏まえて歌詞を書いているところなんよ。前者はトータス、後者はタミオ君やけど。

 例えば「サムライソウル」も、その前の「ええねん」も、「それが答えだ」もそうやけど、なんか説教くさいでしょ?歌詞は。あれがソウルです。黄金期の。オーティスレディングやウィルソン・ピケットなどはそんな歌が多いこと多いこと。それは実はカントリー&ウェスタンの影響でもあるんやけど、まあそれは置いといて、とにかくトータスの書く歌詞やシャウトは、見事にソウルの本質を自分に取り込んだ例でしょう。あ、内容はパクってはないよ。日本人のソウルね。

 同じようにタミオ君の歌詞は、僕は見事やと思うんやけど、ドンドン単語でしかも押韻してるでしょ。あの、コトバを投げちぎる感覚と、余白のサウンドで意味を抽象化する手法は、ドアーズ以降のロックの王道です。それを日本語でやり遂げてる偉さね。もちろん、だからこそ、彼の歌は日本でしか通じないです。でも、それでいいじゃないですか。いい意味で日本独自のロックを見事に編み出しているんやから。

 この二人は、でも、フォロワーを生みにくいやろうね。彼らのやっている事を自分のものにするには、膨大な過去の遺産である音楽の虜になる過程が必要やから。彼ら二人や山崎まさよしみたいにプレイヤーとして過去の音楽を血肉化した人たちは、やっぱり豊かな音楽性を持っているから、支持されるやろうけどマネは出来ないですよ。でも、それでいいとも思う。才能なんてそうそう転がっていないって事ね。

 この3人には、長く音楽を続けてもらいたいと思う。しかもメジャーフィールドで。その事で若いこの中に、ロックは過去こんなにも豊かだったんやなあって思える人たちが出てくれたら、うれしいな。

ファンのため、に。

さっきFM802で知ったことなんやけどね。日本のマドンナのファンが「マドンナを日本に呼ぼう」とネットで署名を集めていて、それが20万人分になったら働きかけようというのを、どこかからマドンナ本人が知って感激したらしい。で、「年内に日本でライヴをやる!たとえ、年内にライヴが出来なくともTVやラジオででも」ってこと決めて、目下手はずを整えているということなんやけど。

 僕はマドンナ、そんな知らないけど、この話は素晴らしいと思う。彼女と彼女のブレーンは、自分がだれに支えられているか、何をもって謝意を表すべきかよく知っている。決意したことの半分も出来ないかもしれないけど、具体的にすぐに働きかけるその動きだけでも、彼女の本気が伝わってくるもんね。彼女のファンは誇らしいよね。具現化するには、膨大な契約事項をクリアし、数々の場所や人を押さえ、違約金も含めたお金を使い・・・。スーパースターを取り巻くがんじがらめのシステムを凄い労力で変えていくことになるわけやから。 もちろんビジネスとしてみて、世界第2のマーケット・日本での好印象をという計算もあるやろうけど、この意志決定から行動までの早さは、やっぱり誠意やで。

 翻って日本では。本気でファンのこと考えている「アーティスト」さんって、だれがいるのかな。僕は知らないです。あ、もしかしたら一人だけ。矢沢永吉さん、エーチャン。彼はそうやな。例の26億円を信頼していたマネジャーの一人に盗まれてお金がなくなった時に、スタッフからコンサート経費を削る話が出て。それ聞いてエーチャンは激怒したらしい。「お前ら、ファンを裏切るのか!」って。最高や、エーチャン。筋が通ってる。・・・でもね、ほかにはいないような気がする。寂しいけどね。日本の場合、売れて自分にどれだけお金が入ってくるのかをそもそも考えていない人ばっかりなんよな。うん、アーティストがビジネスで音楽を作っていないんよ。だから、お金を動かしている事務所とかレコ会社にスタッフが多いんよ。売れたアーティストのお金で食べれるから。

 で、ブレーンが増えると、物事の決定・決済が遅れるわね。それだけならまだしも、バカな事務所の社長なんかは「だれのおかげで売れたと思ってるのか」なんて言い始めて、アーティストと支援サイドのチカラが逆転するわけや。こうなると、ファンもへったくれもないわな。事務所はお金を作ってスタッフの生活を支えること、もっと言えば自分たちの生活レヴェルを向上させるために、アーティストを使い始めるわな。

 たとえ目の前に3人しかお客がいなくても、その3人が凄く喜んでくれたら、ミュージシャンはそれだけで嬉しい。ましてや、ウン万人が怒涛のようにうねりながら熱狂してくれると、ホントお金なんかいいわ今日は!って思えるかも知れない。だって自分の作った音楽がものすごい人に聞かれているわけでね。それだけでプライド持って生きていけるって。マドンナが大切にしていることって、そう言うことやと思う。だから本人が万難を排して動くんやわ、きっと。で、その後でブレーンが収支を考える。この順番は絶対そうや。

 ほんま、日本の「アーティストさん」たちに考えてもらいたい。あんたら、ライヴやってて楽しいか?自分の思いどうりにファンが反応してくれてるか?ずれた観点で乗ってくる人、周りに多くないか?もちろんビジネスやから、結果お金が残ったらそれでいいんやけど、お客さん大切にしとかんと、最後に自分がやりたいことがわからんようになるで。

アーティストさん。あんたらがいて音楽が出来て、初めて産業が成り立つんやわ。スタッフは、後から。
あんたらはファンと向き合って音楽を作ってくれたらいいんよ。やることはそれだけでいい。
そのこと、頼むわ。

大人のバンドブーム

 大人のバンドブームだそうな。つまり、中高年になったオヤジやオバハンが、やっと出来た時間を使って、かつて情熱を燃やしたロックバンドをもう一度作って、リフレッシュしてると。もちろん中には40台から楽器はじめたひともいたりするし、そんなこんなでCDや楽器が親父たちに売れているらしい。マーケットが出来たら、発表する場も必要で、それ用のコンテストなんかも盛況で。

 僕が知る限り、きっかけはもう7年くらい前かな、NHK福岡が主催して、今や看板番組になった「おやじバンドコンテスト」やと思うけど。アレ以来、全国の楽器屋主催のシニアむけコンテストが立ち上がり、YAMAHAなんかは「大人の楽器教室」でアンサンブルまで指導しているし、それなりに盛況らしい。

 おやじバンドのライヴ。はっきり言って大人の学芸会と寄り合いが混ざった「場」なんよな。そこには人の交わる楽しさはあって、それなりにウツクシイ状態なんやけど、音楽は死んでいる。というか、過去生きてた音楽「ロック」を、バンドはそのまんまコピーしているから、音楽は止まっているというべきかな。

 困るのは、僕や僕らのバンドや、長くライヴハウスで自分の音楽を磨いてきた人たち。風体は、おやじ。でも、届けている音楽は、05年のものである人たち。僕らの音楽は、今を歌っている。評価は人に任せるけどね。本当に困る。邪魔すんなといいたい。

 いずれ、この国の得意な「パッケージング」が始まるとは思うけどね。つまり、おやじバンドの人たちはそれなりの発表の場をもち、それなりのお客さんの前で、そのときだけ盛り上がるような、その文化だけで完結する流れが。そうなってもらわないと困るんよ、本当に。

 一度完全に離れた「考え方」に、戻れると思ってるのかな、親父たち。それはムリなんやで。ほら、レスポール買ってから、お宅の家庭事情は悪くなってるやろ?それは仕方のないことなんやで。あんたたちは一旦「収まった」んやから。そのことだけは、わきまえといてね。それと、一旦始めたんやから、止めたらあかんで、今度は。






 

テクノロジーがPOPを駆逐する、のか?

ykawabata452005-08-27

 97年。今からもう10年近く前に立ち上げられたミュージシャン支援団体のHPに、「結局この国で音楽で食べていくには、ミュージシャン主体に物事を運ぶ仕組みを自らで作らないと。」という趣旨のあいさつがあります。

 時間が経って。それから約8年。日本のミュージシャン、特にPOPSを主体にする人たちとその周辺のミュージシャンは、果たしてそれを仕事と呼べる状態にあるのか。「自分でプロであると言った瞬間に、あなたはプロだ。」という至言がありますが、これは大変難しい問題です。 

 難しくしているのは、テクノロジーと音楽の関係。 そう。DAWと呼ばれる、PCでの音楽作業の過剰な活躍です。

 もうすでに現場レヴェルでは始まっていることなんですが、例えばサンプリングでSガッドの渾身のワンショットを捉え、それを自身の作品にとりこむ。いい悪いじゃなく、この作業がもたらす影響を考えると、一つは、こうやって作り手はラクにいいプレイを安く手に入れる(スタジオ代、オペ代、ガッド代要らず!)。それにそのデータは永久に残る。 

 次の位相は聞き手の問題。よっぽどのことがない限り、聞き手はサンプルの元ネタまでさかのぼれない。つまり、匿名の超一流ミュージシャンの「過去のプレイ」に感動する。でも、それがサンプリングであることは、音の質感でわかるから、そこで知識欲を遮断する。うん、誰か探す労力が膨大やからね。

 あまり語られていなかったのですが、ここからが今回の言いたいこと。じゃあ、サンプルされたミュージシャンたちや、そんな仕組みが蔓延するとどうなるか、いや、いますでにどうなっているか。

 ギターマガジンの数年前の記事に、70年代までのNYスタジオミュージシャン達の仕事振りが分かる記事がありました。ヒュー・マクラッケン、D・スピノザ、F・アップチャーチなど、現在のPOPミュージックを作り上げた偉大なギタリスト達の証言です。70年代、彼らはNYの4つくらいのスタジオに、それぞれ自分のアンプ・ギターを置いて1時間単位で一日20セッションくらいの録音をしていたそうです。1セッション平均5万円。ただし印税なし。

 そんな生活が、80年代中盤から激変し、仕事が減り始めます。PCの登場ですね。で、今では、そんな大御所がスタジオで録音できるのは、スーパースターの生レコーディングだけで、日々の暮らしは、かつてのビッグスターのツアーでバッキングクルーになっている人が半分、あとは、引退して違う仕事をって書いてました。

 ギターはサンプリングでも大丈夫やろう!僕はそう思ってました。あの音は不安定過ぎてサンプルしても意味がないからなあってね。見落としていたのは、「サンプリングで音楽を作れるなら、ギターはいらん。」という発想をするミュージカルディレクターが育ってきたことでした。 その結果、彼らの仕事が減っていったわけですね。

 そう。あらゆる楽器プレイヤーの仕事が、90年代に激減したのです。その結果、POPミュージックは、大変貧弱な状態になっているのです。

 仕事がないミュージシャンは、仕方ないから音楽から転職するわね。それが沢山起きると、楽器演奏の標準レベルを保ったウデの人がみんな引退するから、ナマでウマイ演奏を聞く機会が減る。だからいいプレイヤーが減るという悪循環が、数年前から日本でも始まっているのです。


 んなことないで、関西の70年代からの人やCHAR達はやってるやーんって声がありそうですが、あれはライヴでギャラが出て食べて行けるから。そうじゃない、超一流のすぐ下ランクで、今まで日本のスタジオワークを支えていた人たちが、根こそぎスタジオから職を奪われてるのです。また、超一流の人たちもギャラが下がっている。 あのポンタさん・井上アキラさん・山弦のギタリストの小倉さん が、昨日の福山マサハルのTVバンドでバックやってるなんて、僕は見た瞬間鳥肌立ったもんね。 あり得なかったもん、こんなこと。 それくらいスタジオの仕事量は変わり、それがライヴミュージシャンの雇用も変えて、日本では今や働き盛りの中年ミュージシャンが、ごっそり消えてます。

 こんな現状を考えると、音楽専門学校で楽器演奏や知識を仕入れている若い子達の「就職」は、かなり厳しいと言わざるを得ません。バンドを組んでライヴからやるか、自宅でゲームやアニメのアレンジとHDDレコーディングするか、ネットに自作を売っていくか。録音が仕事として減るということは、そこに従事する色んな仕事もなくなるということで、例えばエンジニアの人が仕事なくなっていくと自分で練習スタジオ作ったりする。ここでもまた音楽のレヴェルダウンがあるわけですね。

 書きながら思っているのは、「POP音楽の出来あがり方そのものが変わってきているから、仕事の質も変わるわ、そら。」ってことね。でも、以上を考えると、間違いなくPOPSは、80年くらいまでの劇的に変化していく様相はなくなると思う。それは世界的にね。日本のメジャーなんて未だにアメリカの猿真似でしかないから、もっと貧弱になるやろうね。
演奏家の世代が重層化していることは、「芸には伝承の部分も必要」と言う事実を考えると、不可欠なんよ。簡単に言うと、基本をやさしく伝える人口がへるということは、その文化全体が痩せるということやと思うんよな。

 これ書いている05年8月に、「だててんりゅう」でアメリカツアーにいってきたマモル君は、現在のアメリカのロックについて、「重い、エッジの立ったアンビエントな響きでないと先端じゃないかんじやな。」と言ってました。これ良く分かるのは、ロックをどう新しくするかと考えると、もうその辺しかないんよな。つまり「響き」の部分しか新しさで人を覚醒させられない。メロディは19世紀に出尽くしているといわれるけど、ビートも割と近いところにあるし、そこに持ってきてサンプリングで過去のグルーヴしか使わないもんね。

うーん。暗くなってくるから、いったんここで終わり。