3人の、血。

 さいきん、またもウルフルズです。「サムライ・ソウル」いいですね。いくつかの気になるバンドやシンガーはいるわけです、最近でも。ただ、もうひとつ乗り越えてくれ!って思うことも多いんよ。ウルフルズはその一線を超えてきたと思う。ベースの人がバンドに戻ったくらいからの彼らの吹っ切れ方がいいなあ。彼らのいい所。それは「継承して、血にしている」よさやと思います。奥田タミオ。彼にもそれを感じる。

 トータス松本は、10台最後の頃から、自分は黒人音楽が好きなんやって自覚したらしいです。でもそれをどう表現していいのか分からない時期があったと。そらそうやろ。80年代の後半といえば、60年代までのR&Bなんて、尊敬はされつつもだれも振り向きもしなかったもんな。だから若い彼の周りには理解者が少なかったと思う。タミオ君もそう。彼の場合は70年代ロックやろうね。 彼らがどうやって支持されて来たのかを考えると、実はシブヤ系と呼ばれた90年代東京の動きがひとつの鍵ではなかったかと思うのです。

 オリジナル・ラヴというバンドが、ピチカート周辺から出てきたのは80年代後半。彼らには初めから70年代ソウルの匂いがありました。それもニューソウルと呼ばれた、グルーヴが気持いいゴージャスな音楽が。それに、フリッパーズギターの音楽再発掘がカブって、90年代初頭の東京では70年代初頭のソウルのノリをレアグルーヴなんていう呼び方で持ち上げるムードがあった。フリッパーズの二人の音楽博覧は強力で、時間軸を全部ヨコナラベにして当時の若い子達に古いいい音楽を提示した印象があります。

 そんななかから、例えば和田アキコの再評価や、はっぴいえんどの神格化があったし、もちろんGSの中のいいバンドの再紹介や、挙句に金延幸子の「み空」という、URCの中でもゼンゼン売れていなかったアルバムが結構売れたりしていきました。うん。90年代前半は、日本のロック黎明期であった70年代の、洋楽邦楽取り混ぜた再紹介の時期でもあったと思います。このことがタミオ君やトータスには追い風になったと思うな。つまり、「ガッツだぜ」のあのディスコサウンドや、「Eジューライダー」のフォークロックなんて、そういった70年代ロックの浸透がなかったらヒットは絶対にムリやったと思うんよ。

 でもね。そこまでならタイミングが良かった一発屋や、ただの。この二人の凄いところは、ソウルならソウルの語り口や考え方に立って歌詞を書いていたり、ロックならロックの作風の本質を踏まえて歌詞を書いているところなんよ。前者はトータス、後者はタミオ君やけど。

 例えば「サムライソウル」も、その前の「ええねん」も、「それが答えだ」もそうやけど、なんか説教くさいでしょ?歌詞は。あれがソウルです。黄金期の。オーティスレディングやウィルソン・ピケットなどはそんな歌が多いこと多いこと。それは実はカントリー&ウェスタンの影響でもあるんやけど、まあそれは置いといて、とにかくトータスの書く歌詞やシャウトは、見事にソウルの本質を自分に取り込んだ例でしょう。あ、内容はパクってはないよ。日本人のソウルね。

 同じようにタミオ君の歌詞は、僕は見事やと思うんやけど、ドンドン単語でしかも押韻してるでしょ。あの、コトバを投げちぎる感覚と、余白のサウンドで意味を抽象化する手法は、ドアーズ以降のロックの王道です。それを日本語でやり遂げてる偉さね。もちろん、だからこそ、彼の歌は日本でしか通じないです。でも、それでいいじゃないですか。いい意味で日本独自のロックを見事に編み出しているんやから。

 この二人は、でも、フォロワーを生みにくいやろうね。彼らのやっている事を自分のものにするには、膨大な過去の遺産である音楽の虜になる過程が必要やから。彼ら二人や山崎まさよしみたいにプレイヤーとして過去の音楽を血肉化した人たちは、やっぱり豊かな音楽性を持っているから、支持されるやろうけどマネは出来ないですよ。でも、それでいいとも思う。才能なんてそうそう転がっていないって事ね。

 この3人には、長く音楽を続けてもらいたいと思う。しかもメジャーフィールドで。その事で若いこの中に、ロックは過去こんなにも豊かだったんやなあって思える人たちが出てくれたら、うれしいな。