Keison on the radio, Jan.2002

 帰宅時間だ。駐車場に向かう。 寒いなあ。フェンスのゲートを開けて、車のキーを回す。 ・・・と。
802が「・・・・バナナホールの20周年イベントライヴ、今日は○日目のkeison増田俊郎斎藤誠という、男くさいラインアップの模様をお伝えします。・・・」  やった! この面子だとトップはkeisonだ! 

 軽いCMのあと、ライヴが始まった。僕は交差点の信号待ち。思い切りヴォリュームをあげて、後部座席の窓を全開にした。やっぱ、ロックやからね。これがマナー。で、知ってる感じのコードワーク。1秒で分かった。そう、「The Harder They Come」! 3秒でにやり。おお、レゲエに戻してるやん。イントロのもったりハネる感じで分かった。 いつかきっと、こいつはこうすると思ってたから。 アルバムで自分なりのフツーの8ビートにしてたのももちろんいいし、今回の彼なりのレゲエバージョンも、どちらもいい。でも、グルーヴの面白さを知ってるこいつは、気分でアレンジを変える自由と音楽的蓄積を持っていることは知っていた。だから聴いていても、すごく自然なんだ。

 声が、かすれ気味だ。 でもそんなこと、どうでもいい。このグルーヴを聴け。どんな経緯で彼らがこの、ロックの核心をつくようなのりを体得したのかしらないけど、どんな踊り方でも受け止める強靭さをもったバンドサウンド。プアなライヴハウスの鳴りからでも感じられる、ぶっといのり。 本当にあとリトルビットだけ、THの発音とRの発音がエイゴなら、ワールドワイドなのに! 

 続いては「水玉模様」。ワイゼンボーンという、ラップスティールのイントロから、ロックに飛び込んでいく。こいつはスライド系の楽器が空間を広げることをよく知ってるから、イントロで世界を作ってから、リズムを呼び込む。イントロの印象的なフレーズは、PAがヘタうってバランスミスで聞こえない。でもOK。リズム隊のどしりとした安定が、歌につなぐ。第一声。太い。やっぱり日本語なんだ、奴のマザーランゲージは。この声一発で、世界が広がる。この歌は、言葉のイメージだけをサウンドにのせた、バンドサウンドを知ってる奴しか作れない曲なんだ。サウンドの大きさ・広さが、歌詞を歌わせる。だから歌詞が発せられるたびに世界がどんどん大きくなる。そこに現出するのは、疑似体験の「空」だったり「海」だったり。 決して「ひとつの具体的なもの」じゃない、ただ「大きなもの・こと」。これがロックンロール、なんだ。

 と。途中でチェンジ・オブ・ペース。急にアレンジが変わった。まるで60年代サンフランシスコのデッドのライヴのようだ。スローな8ビート。ギター2本+ドラム・ベースの編成を逆手に取った、空間をディレイやリバーヴでどんどん広げていくギター。グルーヴは、まるでザ・バンドじゃないか。この辺で事故りそうになったので、閉店後のスーパーの駐車場に車をとめて、聴き入る。

 そうなんや。おれがこいつを好きなのは、このスピリットなんや。 形あるものは、古くなったら腐っていくことをよく知っている。最近のお子様バンドは、何年も同じアレンジでヒット曲を演奏する。あれはそれしか出来ないくらい、不自由なものを音楽だと思っているから。そんなもの、ロックじゃない。生きた人間が、そのときにリアルだと思う音にまみれるから、ロックという。 こいつはそのスピリットを誰かから継承している。  誰だ? こいつに余計なこと教えたのは(笑)。

 と。思わず、あっけなくこの2曲で終わり。「え?」って感じ。 でも、やっぱり本物だった。僕の予感は当たってた。まえにカミさんからもらったライヴテープ聴いた時に感じた「ロック・ど真ん中ストライク」という印象は、間違っていなかった。こいつはやっぱり、この国にロックが根付いたことを、僕らに教えに来たんだ。

 スピリットの問題なんや、結局。 「きみは何処に立ってるんだ?」と問いかけて来る、自由な空気。こいつの音楽には、ロックの核心であるそのスピリットが、ある。だから、こんなにうらやましい。だから、音楽を超えて、自分を考える。 それはかつて子供のころ、ラジオから沢山流れていた音楽にこめられていた心。しょぼい映像でみたジョンレノンのジョーク。 

 keisonは、ロックです。凡百の若手アーティストとは、立っている位置が違います。売れるかどうかなんて、どうでもいい。ただ、君がロックの入り口に立ちたいなら、音楽で心を揺らされたいなら、彼の音楽のそばに行ってみてください。 僕はしばらくは彼の音楽を追っていこうと思います。