0-01-01から1年間の記事一覧

1993-96 ロックの子どもたち

91年に衛星放送を受信できるようにして、それからの7,8年は、僕の音楽情報はFM802と衛星放送から聞こえてくるものが中心になった気がします。それまでは雑誌やストリートからのものが多かったのですが、特にFM802の試験放送から数年くらいは…

番外編:素晴らしい音楽を、聴いた。

それは、2000年12月、トウキョウ・青山劇場で起きた奇跡です。その日、ギタリスト・大村憲司さんの追悼に集まったミュージシャンが、彼に手向ける意味でのたくさんのパフォーマンスを行いました。その模様が、2001年3月にBS2で流され、僕はその場にい…

番外編:最近のゴスペル・ブーム

例えばミーシャ。あの歌い方は、紛れもなくBLACKです。ってひとが最近沢山います。本当に驚いたのですが、彼女はデヴュー曲が売れて初めて、ライヴをやったというじゃないですか。ということは、一見教会にでもいってたんかいなっていうあのブラックテ…

番外編 幻のアルバムを探して

。 昔に関西フォークを聴いていた人なら、多分知っているでしょう、バンバンというバンドが3人だった時代を。僕は例のイチゴ白書よもう一度以前の、その3人組だった頃のメンバーで、今や演歌歌手のような?高山厳さんのソロアルバムを、実はもうかれこれ2…

番外編:山崎まさよしの印象 

最近、僕のサイトによく来ていただくピンキーさんから、彼の一人でのライヴを聴かせていただきました。「ONE KNIGHT STAND」というCDを中心に何曲か。やるやん、このタイトル。アメリカでツアー・ミュージシャンが50年代からよく使ったこの…

1988−1992くらい

86年頃から、世界的に始まったものすごい量のCD復刻ラッシュ。日本でも、ROCK・JAZZの名盤の有名どころが一気にドっと発売され始め、しかも輸入盤は、たいていはかなり安い値段だったので、中学・高校生だったころ、欲しくても買えなかったものを中心に、ぼ…

番外編:文化のちがい、やないやろ。

遅ればせながら、本日、2000年の12月に全国で同時多発的にあった、「アクトアゲンスト・エイズ」のNHKでの放送をみました。そこでは、大阪の会場のライヴと、東京では武道館・六本木のクラヴ・渋谷オーチャードホール・新宿厚生年金の各会場でのライ…

関西シーン ’75から78 再考

記憶の断片をつなげておかないと、もったいないような気がしています。 あの頃の関西ミュージシャンのレベルの高さというのは、もう一度考えてみたいなあと。 前にも書いたように、僕がこの京阪神シーンの現場にいた時間は、75年から87年まででした。なので…

番外編:ナマギ弾き語り

僕がギターを手にしたのは、71年の11月10日。僕の誕生日に、おやじが買って来てくれたのです。中3だったから、本当は勉強しないといけないのですが、その日からもう、それどころじゃなくなってしまいました。何しろラジオが毎日面白い状態で、新しい音楽が…

サンプリングという略奪

録音する。 音楽に携わる人たちで、この言葉にこだわらない人は、おそらくいないでしょう。それは、もう100数十年録音の歴史が流れていることや、POPを中心にした音楽産業の根幹にある作業になっていることでもはっきり分かります。 かほどさように、…

85年−87年:世代交代

85年−87年:世代交代 このころ、僕は音楽をいったんプレイしなくなってました。で、結構いろんなモノを沢山聞いていたように思います。京都に住んで、沢山人と知り合う仕事をしてましたが、そんななかで知り合った当時大学生の女の子から、日本のロックの…

武道館の奥田民生、2003

ピンキーさんと上海蟹さんのたくらみで、ヴィデオを見ております。そう、ツアー最終日の奥田民生。 かっこいいんだ、これが。 何度も書いているように、奥田民生は90年代の中盤〜後半にかけて、化けました。それは昆虫の変態に似た形の、発展的な変化でし…

録音物という複製

みなさんは「クロスロード」という、ロバートジョンソンの幻の曲を探す旅に出かける少年の話を映画にしたものを見ましたか?その映画の冒頭で、ロバートジョンソンがレコーディングするイメージが、かなり精緻な時代考証の元、出てきます。 あの時代から、レ…

番外編:トータス、オーサカ、オーイェー!

前から気になってたし、そんなんあったら嬉しいなあということが現実になりました。ウルフルズ・トータスのソロアルバム。グレイトR&Bのカバーであると。 いやあ、これはウレシイです。出来とかはどうでもいいねん。トータスがそんな企画でソロ出すのがう…

ロック・コンサートの変遷

黎明期:1966−76くらいここで言う黎明期とは、僕の音楽の黎明期でもあるわけですから、1966から1976年と考えてもらっていいかも知れません。この期間に、アメリカではPAシステムの大変革があり、現在用いられてるものの原型が出来、メーカー…

82-84年 関西、そして60年代への回帰

82年から84年にかけて、関西はどんな感じだったかな。 僕が覚えてるのは、ベテランたちの自然な、ライヴハウスを中心にした活動と、バンドの自然な離合集散でした。もともと狭い範囲でたくさんのミュージシャンがいたのですから、人のつながりは広く強いも…

2002年のフォークル(1)、(2)

2002年のフォーク・クルセダース(2) たいしたもんですね、ホント。フォークルの活動全般が。すっごい大人のプロジェクトって気がする。はっきり言って日本の音楽産業のレベルはとっくに凌駕し、イギリス・アメリカなどのPOP音楽が立派に仕事として成立し…

番外編 スガ シカオのこと

実は彼の初期になると思うのですが、大好きでした。これはFM802で聴いて。あれっていつやったかな? とにかく、ある日の夜、いつものように自宅に帰る車で、ラジオを聴いてたら、リフとワウワウギターが聞こえ始め、モロにウーリッツアーという会社のエ…

ハルイチへの想い

どうです?この2枚のポスター。素晴らしいと思いませんか?これは今年の春一番コンサートポスターです。作品の著作権を侵害する気はさらさらありません。ただ素晴らしい作品だったので、みんなに知ってもらいたくてもってきました。 まず、このロケーション…

番外編 ジュリーのこと

ジュリーがTVで歌ってます。懐かしい歌。太ったなあ。切れも悪くなって。でも、ええか。この人の率いるバンド「タイガース」がなかったら、日本のロックはまた違った様相を呈していたと思いますもんね。リスペクト。 グループ・サウンズは、面白い現象でした…

小坂 忠さんのアルバム

君は、音楽を聴いていろんな気持ちを作ったり感じたりしていることだとおもいます。ただ、最近の日本の音楽には、残念ながら「祈り」や「願い」を実感から歌う歌が本当に少なくなっていました。ただのコトバ遊びの中での「LOVE」とか「明日」とかは、僕…

1981 10年ひとまわり

新しい意識で新しい音楽を作る−−前回、80年代に入ってからそういう人たちが面白くなってきたことを書きました。どうやってそんな人たちが生まれたのか。これには、シンセの飛躍的な進化と、自宅で録音できる器材の充実が、大きな力を貸しています。 日本での…

番外編:ヒットしたばっかりに

ガロ。知ってますか、このバンド。パーソンズのレコード紹介でも書いたのですが、この人たちの1STは、大ショックでした。今では「学生街の喫茶店」だけがみんなの記憶に残っていると思うのですが、そんなつまらないバンドではなかったことは、この1ST…

Another side of 1980

前回は新しい10年というサブタイトルで書き始めたと思います。今思っても,実際80年は,その後の日本のロックに大きな影響を持っていく現象の芽吹きが随所にあった年でした。前回とは違う側面で80年を振り返ってみると,はっきりと「暮らしのなかのPO…

番外編 : CHAKA with 中西康晴

チャカ。 1980年、大阪にちょっといいバンドがあるで、と。その名はアフリカ。 たまたま弟のバンドが出ていたコンテストの関西大会決勝で、そのバンドを見ました。圧倒的なパワーとゴージャスなステ−ジングで、P−FUNK系のファンクをどっかーんって…

新しい10年

その話を聞いたのは、たしか1979年の11月。かつてのバンドメンバーで、当時イベンターになっていたT君からでした。「RCが、盛り上がってるらしいで。あのRCが。こんど、屋根裏4日間をやるらしい。」へーえ。どんな感じでやってるのかな・・・。…

Keison on the radio, Jan.2002

帰宅時間だ。駐車場に向かう。 寒いなあ。フェンスのゲートを開けて、車のキーを回す。 ・・・と。 802が「・・・・バナナホールの20周年イベントライヴ、今日は○日目のkeison・増田俊郎・斎藤誠という、男くさいラインアップの模様をお伝えします。・…

79年

VOL13 1979この年、その後の音楽を大きく変えた2つの事件がありました。まずはYMOの浮上でしょう。何といっても前年からブームになっていたインヴェーダー・ゲームのキャラのような、サイバーで生活感がないメンバーの「見せかけ」と、テクノ・ポップ。僕…

メリージェーンとその時代

なんにも面白いことがなかった73年の秋の午後、僕と何人かの友達は、高校近くの喫茶店にいました。そのころもう廃れかけてたジュークボックスがそこにはあって、でももう誰もそれを使わなくて、有線で流れているサンタナの「ブラック・マジック・ウーマン」…

78年

うーん。この1978年というのは、フツーにやってたら僕は大学卒業の年だったのですが、いろいろなことが重なって、卒業はしませんでした。まあ、簡単に言うと音楽で食べていきたいという気持ちが固まって、いろいろとはじめた年です。この年は、シーンが…