番外編:最近のゴスペル・ブーム

 例えばミーシャ。あの歌い方は、紛れもなくBLACKです。ってひとが最近沢山います。本当に驚いたのですが、彼女はデヴュー曲が売れて初めて、ライヴをやったというじゃないですか。ということは、一見教会にでもいってたんかいなっていうあのブラックテイスト満載の歌い方は、実はストリートからでもなんでもなく、ただ単に「歌の先生が黒人だった。」わけですよね。

どんな動機であんな歌い方をしているのかは知りませんが、彼女はたとえて言えば「逆:金髪の落語家」なわけですよね。それもゴスペルシンギングのもつ意味なんて知らない、ただの節回しブラックなんですね。 がっくり、です。

 アヤドチエさんが、金沢でゴスペル・シンギングを教えているのをTVで見たことがあります。彼女はNYで本当のクワイアに飛び込んでいって改宗までして歌っていました。だから、本当にいいことを生徒さんに教えていました。それは、心で歌うという、歌の基本です。深く悩んだそうです、日本人の自分がゴスペルを歌うことに。そこを通過しないで宗教歌を追求するのは、僕は間違っていると思うのです。

 はっきりいって黒人文化にツバはいている状態でしょう。こういう場合、無知は悪です。知らないでは済まされないことって、あると思います。

 逆の場合。例えばアメリカ人が修行に京都のお寺に入っている光景を、僕は若い頃結構見ました。彼等は、その修行を実に丁寧にこなしていきました。それは、異文化に対する畏怖と尊敬があったからでしょう。日本人の僕らが見ても経典ってのは難解ですよね。漢字ばっかりで。でも彼等は、執拗にそこに書かれている本質を知りたくて、何十年も京都に住んでいました。

 日本のPOP MUSICに世界的ヒットがないのは、ここに原因があります。異文化への尊敬を踏まえた、自分たちのオリジナリティを作り出せない構造があるのです。もっとはっきり言えば、音楽産業にかかわる人たちが、異文化に対して無知なのでしょう。本当に少ない例外の「スキヤキ」やYMOの初期ものは、やはり凄いスタッフで製作された曲だし歌でしたもの。彼らのアメリカンPOPへの造詣の深さと自分の立っている日本との距離を踏まえた作品作りが、「例外」を生んだのですよ。

 僕は、宗教まで無視して上っ面をかすめとるようなやつらを、音楽家とは呼びたくありません。そんなのはただのジャンクだ。
上等な模造品でもありません。

 「心を奪いとられてきた。いつもそうだった。この国の白人は、私たちのイチバン大事な心を奪い取って、商品に摩り替えてきたんだ。」ナット・ヘントフというヒトの言葉です。 同じことを極東のイエローがやっているって知ったら、彼等はどう感じるのでしょう。 

僕が彼らなら、許せないな。改宗しない限り。神への音楽は、POP SONGじゃないですから。