ハルイチへの想い



 どうです?この2枚のポスター。素晴らしいと思いませんか?これは今年の春一番コンサートポスターです。作品の著作権を侵害する気はさらさらありません。ただ素晴らしい作品だったので、みんなに知ってもらいたくてもってきました。

 まず、このロケーション。尼崎あたりの工場群の一角。明るい夜。多分彼らのホームタウンなんでしょう、自転車があります。ふらっと外に出て、いい感じやからここで歌おか、ってはじめたら犬が来たんで、塀の上に。・・・そんな感じかな?気持ちよさそうに歌うにいちゃんと、月のほうを向いてEギターを弾くにいちゃん。 うるさいなあとほえる犬。 

 ロマンティックな絵です。それに、こんな風景が日本の至る所に本当に存在してくれたらいいなあと思う絵です。おそらく彼らの座っている塀の向こうの古びた工場は、閉鎖されています。そんな場所には怖くて近寄れないんですが、そこに音楽が、それもゆったりと流れる音楽があったら、もしかすると怖さも幾分和らぎませんか?

 この絵には強いメッセージを感じます。それはたぶん、「歌はおかねより強いよ。」ていうメッセージちゃうかな? 少なくとも僕はそう感じています。この2人の気軽そうな様子から。そうやねん。どんな瓦礫のまえでも、心さえきちんとしてれれば、歌は歌えるし、楽器も弾ける。だって、人間が作る形のあるものなんて、所詮誰かの豊かな美しい心と声にはかなわないのだから。

 春一番コンサート。71年に「自分たちが聞きたい自分たちのための音楽やアートを、みんなで楽しもう。」そう考えて、福岡風太さんは何人かの友達とコンサートを始めました。彼は何者でもない、大学生くずれであったそうです。チケットを手刷りし、それを加川 良さんたちも転がり込んでいたアパートの廊下で乾かして、もちろん手売りし、アーティストには「ごめん。ギャラ、ないわ。」といいながら、天王寺野外音楽堂でその後毎年春になると行われていく伝説のコンサートを、楽しそうに作っていきました。 

 たとえば僕が見に行った76年なんかでも、あの昔の野外音楽堂の通路そばの席でぼーっとしてると、さっき歌い終わった友部正人さんが横でしゃがんで音を聴きはじめたり、隣から飲み物が回ってきたり、詩を売り買いしてたり、自由な空気が流れてたなあ。 だから見ててもでかい音がドカーンってくる感じじゃなくて、誰かのいい音楽が流れてるって感じで、すっごく気楽でした。 だれでもええわけよ、アーティストは。だってココはハルイチ春一番)やし、天王寺やもん。 僕は4番目のアーティストが出てくるころあたりからそう思い、あとはひたすら空を見ながらボーっとしてました。だって、みーんな笑ってるんですよ。スタッフもミュージシャンもお客さんも。全然知らない隣の兄ちゃんが「なあ、どっから?」「うん。京都。」 「そっか。おれ豊中。これ食う?」「うん。」 こんな最高なコンサート、ありますか? 

 確か79年。当時のオオサカのタウン誌「プレイガイド・ジャーナル」で、風太さんは「もう、あれは俺らの求めていた場ではなくなった気がするなあ・・・。」とつぶやき、その年を最後にいったんコンサートは休止しました。 思えばそのころからロックやフォークは、どんなに小さな場でも「売る・売れる」という事を目的にしていきます。 同時にオーディエンスも変ってきました。あるバンドだけを見に行って、後の人を聞かずに帰るって子達が沢山出てきたのでした。それがオムニバス形式のコンサートをどんどんつまらなくしていきました。  ハルイチの長い沈黙は、だから当然でした。

 15年後。ハルイチが復活しました。そのころにはもう、ロックと呼ばれた音楽は産業になってて、かつての京阪神のミュージシャンたちもいろんなキャリアをつんでいました。でも、いや、だからこそ、70年代よりも多くのメッセージが歌にこめられて、新しいハルイチでは歌われていきます。僕はこの復活ハルイチこそ、風太さんや彼の友人たちがやりたかった本来のコンサートではないかと思っています。それは、復活後のほうがコンサートにメッセージがあるような気がするからです。言葉にするのはムツカシイのですが、あえて言うと「ヒューマン・ソングスを扱う」というコンサートに見事になっているところかな? そしてその提案は見事に時代にINであったし、現在まで続いていく素晴らしい場になっている要因であろうと思います。

 来年こそ行くぞ、ハルイチ。 リョクチ(服部緑地)でボーっとするぞ。