番外編 ジュリーのこと


 ジュリーがTVで歌ってます。懐かしい歌。太ったなあ。切れも悪くなって。でも、ええか。この人の率いるバンド「タイガース」がなかったら、日本のロックはまた違った様相を呈していたと思いますもんね。リスペクト。

 グループ・サウンズは、面白い現象でした。それは2つの意味で。一つは、彼らのレパートリーって、その初期の頃はほとんどのバンドがブリティッシュもの。ストーンズゾンビーズビートルズ・・・。それをでたらめな日本語でやってたから、80年代初頭にオリジナルのバンドの元曲を固めて聴いたときに、「ああ、そうかあ。だからおれってロックが好きになったんや。」ってね。 つまり、彼らとヴェンチャーズは、小学生の僕に、POPの刷り込みを行った結果になってたわけです。 

 もう一つは、昭和40年代前半の、「発展途上国の景色」との違和感です。昔の「明星」とか「平凡」での、GSのピンナップ写真のバックには、何故かお寺とかお城とかが写ってました。それと最新鋭のスポーツカー!それとか、舗装もされてない足元に、あのミリタリー・ルック(おお!)・背景には格子戸とかわら屋根みたいな写真を、ゴマンと見たもん。
見ている僕自身の格好が、一年中はいてる半ズボンで。 とくに今その頃のGSの写真をみたら、絶対に爆笑できるとおもうな。なにか、80年代のアジアの新興都市が、ちょうどあの頃の日本の様相でした。異様に熱気を帯びた発展途上の国の様相。 

 ジュリーは、そんな中を67年から83年くらいまでスーパースターとして、常にPOPのフロントラインにいて走っていました。「僕は演歌は年取っても歌わん。僕の使命は、ひょっとしたらそれを貫くことやと思う。」まろやかな京都弁で、彼は80年代の初めにインタヴューで言ってました。そして、見事にそれを実行しつづけてます。

 「やっぱり自分では、サティスファクションを歌えていたいんよ、いくつになっても。歌えんようになったら? うん。京都に帰るわ。」そうも言ってたジュリー。 

 かっこよすぎ、今もむかしも。