小坂 忠さんのアルバム


君は、音楽を聴いていろんな気持ちを作ったり感じたりしていることだとおもいます。ただ、最近の日本の音楽には、残念ながら「祈り」や「願い」を実感から歌う歌が本当に少なくなっていました。ただのコトバ遊びの中での「LOVE」とか「明日」とかは、僕ぐらいの年になると、そのコトバを包むアレンジや歌いかたの中で「こいつ本当に感じているのか?」という判断が瞬時に出来てしまい、聞いているのがばかばかしくなるのです。

今日は、そうじゃない音楽を久しぶり、去年のKEISONとの出会い以来、に聴きました。 小坂 忠さんの25年ぶりのソロアルバムでです。

僕がはっぴいえんど人脈の音楽が好きで、細野さんを敬愛していることは、このサイトをご覧の方は了解してくれていると思います。そんなですから、去年の冬に忠さんのアルバムが出たときすぐに手に入れたかったのですが、なにか出来すぎの感じがあって、少し置いてからにしようと思っていました。 あの頃は、2000年の林 立夫さん主催のコンサートになんとティンパン・アレイがフルラインナップで帰ってきて以来、1年間でそのティンパンの音楽や細野さんのBOXが出たりと、「半分懐古:半分新奇」なベテランの動きがあったので、忠さんのアルバム製作が細野さんで、なんとオリジナルのティンパン・アレイのメンバーを核にバンドサウンドで作られるなんて話は、これは出来すぎで、怖いなあ聞くのと思ったわけです。

それがJAMAの練習に行ったとき、柳生がCDーRでぽんと持ってきてくれてて、「おお!もらう!」と持って帰ってきて、さっきまでもう5回くらい聞いています。 結論は、このアルバムは小坂 忠さんの最高傑作であるということです。

僕は1975年・大阪 中之島公会堂で、ティンパン・アレイのライヴを見ました。その時の忠さんの歌いっぷりは、未だ僕のどこかに残っています。バリバリのシャウトと張りのある声。キー坊とは違うR&Bの解釈。あの時の「しらけちまうぜ」は、忠さんのその時着ていた白い麻のジャケットとともに、ソウルの洗練というコトバを思い出します。それに、キーボードの佐藤博さんのゴスペル・タッチのエレキピアノ。細野&林のパワフルなグルーヴ。こんなもん、絶対に忘れられない! それくらいの演奏でした。

あれから27年。 忠さんはその後、牧師さんになり、「日本のゴスペル」をたった一人で創り続けていました。そう。ずっと歌い続けていたのでした。それも、商業音楽のフィールドではないところで。

日本人が自分の中にない宗教の音楽を扱うことへのばかばかしさは、前にもいろいろ書きました。僕のスタンスは今も変わりません。 ただ、今回の忠さんのアルバムはそれら凡百の勘違いゴスペルとは、根元からぜんぜん違うのです。彼は日本名うてのR&Bシンガーといわれることが多かったのですが、小さなつまづきからそんな呼ばれかたに悩み、改宗し、本当の意味での「日本でのゴスペル」を歌いはじめたのでした。 70年代に日本の音楽の最先端を走っていた時と同じやり方=その世界に飛び込んでいって、真にオリジナルなものを創るというやり方で。 この辺の話は、御自身がいろんな所で語ってられるので、一度参照してみてください。

今回の音楽については、御自身ではPOP MUSICを創る意識で臨んだと言うことです。でも、普段が普段ですから、やはり歌詞の世界に色濃く「愛」とか「生死」とかについてのメッセージが残ってます。それも、すごく当たり前に人生を暮らして来た人なら誰もが共感できるコトバで。

僕は、まずシングルにもなった「夢を聞かせて」にヤラれました。すごくさりげない言葉づかいと、さらっとした歌いかた。ジェームステイラーのようなギターワークとアレンジ。そんな中で展開される「希望」へのメッセージは、だれもがぐっとくるでしょう。 そう、だれでもが。

全体を包むサウンドは、ティンパンがどうのこうの言う前に、現時点での日本最高のグルーヴだということです。 僕は、佐藤博さんの弾くウーリッツアーのエレキピアノや生ピアノが、彼のソロアルバムでもめったに出さない彼のルーツであるゴスペルピアノだったことが、とても嬉しかったな。あまり知られてないと思うのですが、彼は京都の人で、レイ・チャールズのようにピアノをひきたいと、20歳からピアノを独学で始めたのでした。だから、クラシック出身の人とはまったく違う反応が出来るのです。

たぶん、60年代後半からのルーツミュージックへの旅に、日本で一番早く出かけた集団でもあったティンパンの連中の、70年代には借り物であったブラック・ミュージックのグルーヴが、長い年月を経てこのアルバムでは完全に自分たちのものになっています。そんな演奏の聞き物は、このアルバムの随所にあります。全体的にアコースティックなサウンドなんですが、強力なボトム=ドラム&ベース&パーカス がどの曲にもあります。演奏のお手本を探している若いリズム・プレイヤーにも、そんな意味でこのアルバムはお勧めです。 え?ファンクが何か知りたい? このアルバムの「HOT&COOL」の演奏とヴォーカルを聞いてごらんってこと。

聞けば聞くほどこのアルバムについて話したくなってきます。プレイヤーでいえば、もう一人、浜口茂外也さん。あの浜口蔵之助さんの息子さんで、今でも日本のパーッカッションはこの人がNO.1でしょう。なにがすごいって、曲に合わせた楽器の選びかたと、グルーヴ。本当にこのアルバムでも、この音がなかったらぜんぜん違った感じに聞こえるだろうという楽器の選びかたで曲に参加しています。センスと歌を殺さないバックアップは見事です。

このメンバーに入れば、さすがの佐橋も、先生と生徒の関係に聞こえます。予想がつくんやね、彼のギター。そらそうやと思います。彼のお手本はティンパンやもんね。山弦なんかでやってる音楽は、僕らティンパンを知っているものにとっては、にやにやして聞くものやもんね。

アルバム最後のところで、インプレッションズのピープル・ゲット・レディをアリーサのアレンジでやってるんですけど、この曲でのオルガンのフレーズや音は、間違いなく細野さんのアイディアでしょう。佐藤博の弾くピアノは、オリジナルでアリーサが弾いていたのと同じくらいの、タッチの強いゴスペルピアノ。にたいして、オルガンは、微妙にザ・バンドのガースハドソンみたいだから。

最後に。このアルバムがエピックから出たことに大きな意味があると思うのです。冒頭にも書いたように、忠さんは普段は宗教家です。その彼の音楽をPOPSとしてコーディネイトし直し、僕ら無神論者への商業音楽として充分価値のあるものになるように位置づけたプロデューサーの細野さんは、えらい。 僕のように長くPOPを聞いてきたものは、アメリカのゴスペルシンガーにはアル・グリーンのようにPOPとゴスペルを交互に切り換えた活動をしている事は知っています。でも、ここは日本で、今までそんなことした人はいません。そのくらいの大きな誠意のある仕事であると思います。つまり、忠さんは、教会ではここに入っているアルバムの歌はメインでは歌わないだろうし、逆にPOPフィールドでのライヴではゴスペルは一人ではやらないだろうと言うこと。今回のラインの引きかたの成功で、忠さんだけではなく、聞き手の僕らも楽に彼の音楽を聴いて行けるということです。 さすが、おそるべし、細野じいさん。

これを書いている今。外は久しぶりの快晴です。天気のことや友達のこと、明日への気持ち。久しぶりに、日本の音楽を聴いた後に、穏やかな気持ちになっています。