番外編:ヒットしたばっかりに

 ガロ。知ってますか、このバンド。パーソンズのレコード紹介でも書いたのですが、この人たちの1STは、大ショックでした。今では「学生街の喫茶店」だけがみんなの記憶に残っていると思うのですが、そんなつまらないバンドではなかったことは、この1STアルバムを聴けば瞬間で分かるでしょう。アコースティックギターと3声コーラス。これはそれまでのシーンに無かった展開だったし、何より「CSN&Y以降のバンド」だった点が、僕らにとってはショックだったのでした。

それまでの日本のアコースティックバンドと言うと、ナマギ+ボーカル+ビートルズマナーの2声コーラスみたいな、それこそドラムがいないだけのリードシンガー主体であるか、またはPPMのフルコピーのような、日本語にするとちょっと気持ち悪いコーラスをつけたものだったのですが、このガロは違った。なんせ3人が対等に歌うし、ハーモニーの付け方も1+3+5度でなんとメロディーを歌っていくCSN&Yスタイル。それに歌詞。後期はつまらなくなるのですが、自分達で書いた歌詞は、簡単なことばでサウンドとの相乗効果を持つ、インパクトの有るものがたまにあったし。

しかしガロの本当に革新的だった点は、そのギターワークでしょう。もちろんCSN&Yをお手本にしているのですが、おそらく日本で初めてでしょう、ロックギターの弾き方でナマギを弾くってのは。日高富明のギターワークは、もろにエレキのそれでした。当時中学生〜高校生だった僕は、ギターを弾き始めて1年くらいでしたけど、その時点でこのバンドに出会って本当にヨカッタと思います。というのは、他の日本のバンドは(はっぴい除く)エレキならエレキの様式美をコピーしていた段階だったから、例えば井上孝之やジュリーらが参加したPYGがCSN&Yみたいなことやっても、アコースティックギターの奏法のところで躓いてたもんね。

チョーキング・ビヴラートというテクニックを、アコースティックギターに持ち込んで広めたのは、間違いなくガロです。これは弦を引っ張って手首を回転させてビヴラートをかけるという難度の高いテクで、E・クラプトンが広めたものです。そう。エレキのテクです。それをガロの日高富明は1STからガンガンつかってるからなあ。まさにスティーヴ・スティルスのように。

それと変則チューニング。この時期(71年当時)にCSN&Yの様々な変則チューニングを知っているだけで凄いことだと思います。情報なんて無かったからね。もうレコードやフィルムを必死になってコピーしたのでしょう。上手いもんなあ、ギター。ただね・・・録音がしょぼいんだ、本当に。1967年のバッファロー・スプリングフィールドの名曲「ブルーバード」でのアコースティックギターにその秘密があるんですが、ロックの中でのアコースティックギターの録音は、リミッターをかけることで凄くワイルドになるのです。当時の日本のエンジニア達はそれを知らなかった(吉野金次のぞく)みたいで、まったくの「素」の音をガロの時に使ってる。この1STアルバムの欠点はそれだけです、今聴いても。

おじさんになった僕がムカついたのは、サムシング・エルスと言う若いバンドがCSN&Yの「ラヴ・ザ・ワン・ユア・ウィズ」を得意げにコンサートで歌っているのを見た時でした。この時代、CDになっているだけであのギターの秘密もヴォーカルのニュアンスもはっきり分かるのに、つまり、僕らの頃に比べても圧倒的に分かっていることが多いのに、奴等はうそのパートを出来の悪いグルーヴで歌っていたのです。

ガロはその点、本当に凄かった。ギター奏法までカンペキにニュアンスを持っていたもんね。その印象が強すぎて、解散してからが辛かったと思うけど。あれでウタがもっとソウルフルだったら、ガロは今ごろ再評価されてると思うなあ。歌ははっきり言って線細いもんね。でも、これは仕方ない。日本人の限界みたいなところ。これも本当は、CSN&Yなんてレコーディングテクニックでカバーしてるわけで。

書いているうちにいろいろと思い出してきたけど、ガロ+かまやつひろし のライヴがラジオで流れたときには、その圧倒的なパフォーマンスに興奮したなあ。間奏になったら完全にロック。アコースティックギター・ソロは、スティルスそのもののブルーズ色あふれるもので、とても日本のバンドとは思えなかった。 ほんと、このころのエア・チェックを持ってるヒトがいたら連絡ください。ガロのギターワークは、ライヴで凄かったから、聴きたいなあ、また。

 こういった、実力とは違う所で評価されたので、結局音楽の素晴らしさがきちんと伝承されていない人たちって、沢山いるのです。 しばらくはそんな不運な人たちの事をかいてみましょうかね。