Another side of 1980

 前回は新しい10年というサブタイトルで書き始めたと思います。今思っても,実際80年は,その後の日本のロックに大きな影響を持っていく現象の芽吹きが随所にあった年でした。前回とは違う側面で80年を振り返ってみると,はっきりと「暮らしのなかのPOPS」が価値として変わったことがあります。

 僕らのティーンのころは,音楽・演劇とそれを取り巻く小さな文化が,いっちばんヒップなものとして位置づけられていました。ところがこの頃になると,フツーのおしゃれなワカモノが「かっこいい」と感じるものは,音楽だけではなくなってきてました。ある人はラガーメン・ある人はサーファー・ある人はコピーライター・・・。自分の生き方を投影するに足る価値は,円が強くなってきたことでの「海外旅行ブーム」による,現地に直接行ってしまうことで見つけられるようになり,イメージ上の街は体験する街になりました。このことで,76年くらいからの偽者のウエストコースト幻想は一気に終焉を迎えます。

 要するに,円高。確か1ドル300円くらいから220円くらいまではあっという間になりました。これで海外からのもの=雑貨・楽器・レコード=が劇的に値下がりしました。当然,旅行も安くなった。で,みんなが行き出した,アメリカに。これが80年から81年のブームでした。当然,ロックもかつてないほど情報が入ってきました。まず,新譜の発売時期が,アメリカの1週間後くらいになった。空輸されてレコードが入るようになった。でもまだ当時は今みたいにジャンルなんかも全くアメリカと変わらないってことはなかったな。だから,ロックやPOPがそうなったというだけでした。それとプロモィデオ。これはこの81年以降5年くらいのチャートを作っていくくらいの影響力がありました。

 さらに,高校生くらいの奴等がバイトできる環境が増えて,奴等がお金を持つようになった。奴等はお金を得るとまずウォークマンを手に入れ,レンタルレコード屋で借りレコードをテープに落とし,町中で聴きはじめました。こんな安上がりな音楽の入手法は,いままでなかった。特に最新ヒットアルバムなんてレンタル屋の初期には簡単に借りられたから。こうなると,POPはただの環境を作る商品です。またこの頃のアメリカ,特にLAでは,金太郎あめみたいな「歌手が変わってもわからんぞサウンド」が大ヒットしてた。だから,今までみたいに音楽を考えて聴くとか生き方が変わるとかってのはなくなってきました。

 日本は物質的には豊かになったのです。何も1枚のレコードを何度も聴いて嫌いな曲まで何度も聴いてこだわる必要がなくなったのです。気に入れなければ録音しなければいいし,次のを借りればいい,またそのお金は持っている。僕は近所に初めてレンタルレコード屋が出来て見に行ったとき,そこにいたお客さんの様子を見て,本当に危機感を持ちました。「これからは,音楽はただの商品になる。それも思想性のない心地良さを追求するだけのものに。」 で,実際そうなっていくんやけど。

 当時のシーンは,だから70年代初期のように既製文化と向き合う形の「ワカモノ文化」としてのロックやフォークという,2極分化ではなくなっていました。まああえて書いてみると,3重構造でしょうか。つまり,<歌謡曲の体制:新しい音楽を作る保守的な人たち:新しい音楽を作る新しい意識の人たち>って感じ。 当然,70年代は最後の人たちが圧倒的だったのです。ところが,この分類で言うと真ん中の人たちの層が,どんどん厚くなっていきます。その人たちが作る音楽は,はじめから危険を回避しているので,問題が起きるわけじゃありません。だから,お客さんが増え,TVにも出て,新しい歌謡曲になっていきます。

 では最後の<新しい音楽を作る新しい意識の人たち>はどうしてたのか。実は,ここからが非常に面白いのです。