番外編 山下達郎たちと74年

73年。はっぴいえんど解散コンサートに、噂のシュガーベイブが登場したというニュースは、いろんな雑誌を通して僕の耳に入ってきました。ただし、コーラス隊としての参加だったらしいってのも。で、どうしてもその音が聞きたくて、そのライヴが収められたレコードが出たときはすぐ買ったのでした。

 一聴して、「やった!」って思った。ビーチ・ボーイズとかのムードがある、すっごくバタ臭いコーラス。それも写真見たらまるっきりのロングヘアとTシャツ、ジーンズで、何本かのマイクを囲むようにして立った山下達郎たち。ワクワクした。来た、来た!僕が待ってたのはこんな人たちやったんやー!って思ったなあ。

 花のニッパチ(昭和28年生まれ)って、後に言われるようになる、1967年に14歳=中学3年の人たちは、恐らく日本のロックを直接変えた人たち。達郎さん、チャボ、キヨシロー、ユーミンたち、もっともっといるけど、その世代が今の日本のロックを創ったことは間違いが無い。中でも、その後の日本のPOPSの粗型は、山下達郎がくみ上げたといっても過言じゃない。

 もちろん、はっぴいのメンバーも凄い。特に大瀧さんと細野さんの音楽的素養は、確かに日本の各方面に影響を与えたと思う。でも、具体的な音楽の影響(曲調、歌詞、歌い方など)は、達郎さんのほうがはっきりと形を後進に伝えていると思います。だって、抗えない魅力があるもんね、彼の歌・曲・アレンジ・ギターには。

 その後、74年には不二家のチョコCMをはじめとして、シュガーベイブが次第に明らかになってくるに連れて、達郎さんの並外れたバタ臭さのある歌い方と、maj7系の曲作りが、それまでの日本のPOPとはっきり一線を画するものである事が分かってきました。そう。彼らでロックの世代が変わった。だから、僕らはすっごく期待してたのです。シュガーベイブに。

 そんななんで、75年6月に1STが出た瞬間、買いました。もう聴きもしなかった。このアルバムのショックは、レコード紹介のところにも少し書いたと思うのですが、とにかく色が違うのです、それまでの日本の音楽と。それは達郎さんの声と、妙子さんの声。それに村松さんのギターの音。あと、コーラス。これらのトーンが乾いているのです。それと曲作り。それまでの日本のロックに登場しなかった複雑なコードが、このアルバムには満載でした。当然、複雑なニュアンスも生まれます。僕は夢中になりました。とにかく、このアルバムと細野さんの「トロピカル・ダンディー」を、その夏は聞きまくったのでした。

 新しい世代のロックが現れる兆しは、シュガーと同時並行であったのです。それは、やっぱりニッパチの鈴木 茂のソロ「バンドワゴン」や、74年に出たバズのアルバム、それにやっぱり74年のユーミン「ミスリム」などの、ソウルのにおいや、やっぱりニッパチ・高中正義のミカバンドでのもの凄いグルーヴのギター、当時アマチュアだったセンチメンタル・シティ・ロマンスのセンス。これらが、同時多発的に74年の夏以降に、TVやライヴに出始めたのでした。

 彼等がどう新しかったのか。それは、それまでバタ臭いとされていたキャロルと比べればよく分かります。エーチャンのあの歌い方や歌詞の乗せ方もかっこよかったんですが、「きゃわいい あのこは ルイジアンナァ」という歌い方と根本的に「鳴り」が違う英語の発音が達郎さんにはあった。そう。それまでの日本のロックは、エーゴはカタカナでカタコトだったのです。それが、達郎さんたちは発音から気をつけていく歌い方と、POPSの中で声がどうしたら鳴るかを研究したうたい方を、僕らの前に置いていった。

 当時のティーンエイジャーは、その新しさに対して、飛びついた人と拒んだ人がいたことも、彼らの存在の大きさを証明する出来事でした。実際、僕は拾得でシュガーにブーイングが出たことを知ってます。それは今から思えば、新しいロック世代の登場に戸惑った、「ダンカイエイジ」の罵声であったと思います。いい悪いじゃ、なく。

 ニッパチ以降は、はっきりバックグラウンドが違うのです。東京オリンピック・高速道路・経済成長での豊かさ。例えば達郎さんは、11歳のときに東京のそんな姿を見ているために、細野さんや松本 隆さんのような、東京が変わる悲しみを感じずにいたのでしょう。それに、66年に中学2年でビートルズの来日を体感しているというのは、なにか決定的な気がします。みなさんもご存知のように、ティーンの1歳差というのは劇的なのです。そう。彼等以降の世代には、ビートルズは初めからいたのです。

 ただ、ニッパチ以降の人たちには、それまでの人たちにあった重要な感覚が欠落していったとも思います。それは、上質の批判精神。ロックのなかでももっとも重要な感覚であるユーモアが、彼等以降のミュージシャンには薄いように思うのです。「くすくす」って笑ってしまうような、存在自体が笑いを含む音楽が、彼ら以降どんどん消えていき、音の体裁は限りなく洋楽に近くなり、歌詞は限りなくエーゴに近い乗せられ方をし・・・。 つまり、体温が低くなった。

 未だに日本のロックを語るときに、巨大な足跡を残しながらあまり語られない達郎さん。それは、1つにはそんな音楽至上主義がもたらしたプラスティックな形があるからかなあとも、思ってしまうのです。 僕は大ファンなのですが。