2002年のフォークル(1)、(2)

2002年のフォーク・クルセダース(2)


 たいしたもんですね、ホント。フォークルの活動全般が。すっごい大人のプロジェクトって気がする。はっきり言って日本の音楽産業のレベルはとっくに凌駕し、イギリス・アメリカなどのPOP音楽が立派に仕事として成立している人たちの意識で動いている。

 まず、なぜ今再結成なのかというところは、加藤和彦さんの宣言というかプレス向けのコメントに詳しいけど、要するに「売れるための音楽」を作るのではなく「自分たちが演奏して聞いて楽しい音楽」を、この時代だからこそやるんだというのが動機である、と。コンセプトの中に「儲ける」がないんですね。純粋にいい音楽と言葉のメッセージを世の中に残したい。でも、その結果、世の中がどうなろうと知ったこっちゃない。 この姿勢ですよ。これが真のアマチュアリズムでしょう。すべてがこの発想から生まれた行動で、その結果のCDでありラジオでありライヴであるし、期間限定の活動であると。 

 加藤さん自身、67年フォークル解散時には、音楽でプロとしてやる気はまったくなくて、自分の預かり知らないところからの大ヒットで、ちょうど北山さんの学校がロックアウトで休校状態だったので1年の猶予があり、1年だけプロとして遊んでみようと活動したひとだから、音楽で身を立てることなんて、「結果そうなった」という事らしいです。

 ただ、加藤さんの性格上、好きな事は徹底的に突き詰めて勉強してから行うし、練習もする。なので68年からの断続的な世界旅行で、音楽を続けてみようと決心した彼は、まずイギリスでPAや最新の機材を買い込み、帰ってきてミカ・バンドを結成します。そのPAを使って会社を作り、日本のロックにPAというものを見せたり、楽器のメンテナンスの仕事や広報というポジションをレコード会社内に確立させたり、もちろん最新のロックファッションや風俗を紹介したり。いわゆるトレンドセッターでもあったと思います。

 最近、時間が経ったこともあって、加藤和彦さんやかまやつひろしさん、北山修さんなど、70年代初頭に日本に本物を紹介したりその後のPOPの方向を作った人たちの紹介が、偏っている事が気になるのです。 

 はっぴいえんどユーミンなどの流れだけが日本のトレンドを作ったのではない。大間違いです。本人たちが好むと好まざるに関わらず、加藤さんの68年から74年までの動向は、日本の音楽界に極めて大きな意味を持っていました。「フォークと呼ばれた新しい音楽」がひとり立ちするためには。

 北山修さんの、当時のシーンに残したものも強烈です。学生あがりの作詞家というのは、それまでの業界には存在しなかったと思います。それまでのPOPのなかでは、わずかに漣 健児さんとか湯川れい子さんのような、音楽出版の傍らで訳詞のような創作のような?ものを書いている人たちはいましたが、美しい日本語で新しい音楽に詩を書く若い人は、非常に少なかったと思う。

 で、さらに北山さんの凄い所は、言いたい事があったということです。それは「戦争を知らない世代で何が悪い」ということだったと思います。60年代後半からの騒然とした街路に生きた若い人たちにとって、これほど勇気をもらえる主張はなかったのではないかな。 僕はこの考え方に触れたのは中学生だったけど、やっぱりこれに甘えたもん。 

 北山さんの言いたかった事は、時代が違うんやで、おじさん・おばさん。という事だったのです。それを言っているのがタダの町のニーちゃんではなく、医科大学に通うインテリで大ヒットを持ったグループの一員だったから、当時のオトナも無視できなかった。そして、彼は70年代中盤くらいまで、世代のひとつの顔になったのでした。

 彼らの残したものは、「あの素晴らしい愛をもう一度」でもなく、ミカバンドでもなく、実は目に見えないところでの音楽産業のインフラ・世代思想のインフラであったのです。それも、自分たちがやりたいようにやり、言いたい事を言った結果できていったインフラ。いまだに泉谷さんがラジオで加藤さんと対面すると、敬語になったりするのは、そういうことです。 そう。この2人が、68年〜74年くらいまでに起こした全てのアクションが下敷きになって、若い奴らの音楽が広まったとも言えるのです。はっぴいえんどがいたから若い奴らの音楽が広まったのではない。はっぴい…は彼らやジャックスの残したインフラが出来てからその内実を高めたにすぎない。

 なのに。2002年現在の日本のフォーク・ロック史では、何と言ってもはっぴいえんどですよね。ロックの原点とか、日本語でのPOPの可能性を広げたとか。あれは嘘です。僕ははっぴいが70年の7月くらいに「ゆでめん」を発表した時もしってるけど、その当時、そんなすぐに注目されなかったよ。それより、その当時にラジオで話したり作品がガンガンヒットしてたのは、フォークル系人脈ばっかだったのです。彼らの作品は曲想が当り障りのないきれいなもので、高い演奏技術(ウタも)で思い切り広まった。ポップフォークですよね。でも、それがあったからこそ、違和感少なくいろんな人たちのフォークやロックが聴けるようになったのは、僕だけじゃないはず。

 彼らのヒットがちょっと落ち着いたなあと思ってると、拓郎さんたちが出てきて、加藤和彦は拓郎さんの「人間なんて」アルバムをプロデュースしたりという形でまた名前が出てきます。 同時並行で「戦争を知らない子供たち」が70年くらいから先ずは万博会場から・次にジローズで大ヒットして、北山さんの考え方が世代を代表するものになっていきました。 こんな当時を知っているものからすると、彼ら2人の果たした事をそんなに見もしないで、ただ名盤と呼ばれるCDのアーティストだけ再評価を繰り返す日本のロック・ジャーナリズムは、解ってないなあと思うのです。 

 アマチュアリズムが、日本のロックのワクを広げた。フォークルの存在は、ここに尽きます。そして、67年当時のテンションのまま、彼らは今年7月シーンに戻ってきました。 68年の解散からの年月が、彼らの視点をより高く広いものにして。 でも音楽の楽しさ・意味深さはそのままで。 

 2002年のフォークル、毒が回るのはこれからです。


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2002年のフォーククルセダーズ(1)

 1965年8月。京都に来たばかりのロックファン加藤君は、大好きなアメリカン・フォークミュージックをプレイしたくて、当時のアンテナ張っていた若いやつがよく読んでいたMEN'S CLUBというアイヴィのファッション誌に、「フォーク・コーラスのメンバー募集」と載せます。 そこから始まったフォーククルセダーズの歴史は、日本のPOPやロックを作っていくバンドの歴史になりました。 バンドのプロ活動は、たった1年。でも、当時の若い世代に与えた影響は、計り知れないものがありました。フォークルの色んなところが深く・広く語り継がれ、日本のPOPを志した多くの人の無意識にまで影響を及ぼしたのです。 そう。ブレイン・ダメージ度が、極めて高い作品や行動を、彼らは残したのです。

 そして2002年。フォークルは再結成しました。前回のメンバーのうち、はしだのりひこは参加しなかったものの、新たに坂崎幸之助という、日本のアコースティックギター・ファン代表のようなミュージシャンが加藤和彦に選ばれ、前回と同じ3人での再結成になりました。 僕はこのことを、プレス発表からかなりたってから知りました。 知ったその瞬間から、新しい勇気と知性を貰ったような大きな安心が、僕の生活に生まれました。 

 面白い事が、もう始まってる。 そうおもったのです。

 それからは、もう開設されていたフォークルのHPを毎日見ていきました。さすがです。ホームページ、いや、ネットの最大の利点である双方向性とリアルタイム性を生かした、シャープなホームページです。それに、毎日更新される内容は、67年の突然のプロ活動期間当時のスピード感と、HPで公開するにはもったいないほどのものでした。 凄い。本気でやってる、加藤さん。素直にそう思っていました。

 特に嬉しかったのが、加藤和彦さんはファンのBBSへの書き込みを愛情を持って眺めていて、毎日それに反応していくのです。その反応に伺われる彼の音楽への姿勢は、やはり僕がお手本にしてきた先頭集団の一人のものでした。簡単にいうと、広義のロックから彼らが貰ったものは<分け隔てのない愛>であるということです。この姿勢を端的に表している出来事が、毎日のようにBBSおよび加藤さん自身で書いている毎日の日記で読めます。

 それらを見ていて僕が感じるのは、加藤さん自身が、ファンのことを自分と同じ目線の人たちであると、基本的に信頼と愛情をもってみているという事です。それに、ポーズじゃなく、心から、自分の音楽で他の人の生活がより良くなることを、彼は願っているのです。

 きたやまさんはともかく、坂崎氏も加藤氏も、まあ今の日本のPOP界では大御所で、それこそ指一本動かせばそれだけでほぼ全ての事が解決できる力があるわけです。なのに、彼らはフォークルのHPから、僕らに直接語りかけてくる。それは、まさに60年代ロックが持っていたスピリットそのものです。つまり、「君も僕も同じやで。」っていうスタンスに、色んな煩雑なものをゼンブ脱ぎ捨てて、立ち返ってる。 ちょっと例が悪いかもしれませんが、これは建設会社の専務あたりの人が、現場に戻って陣頭指揮をとるようなものだと思います。 

 そこまでして守りたい・伝えたいものは。 これはCDを聴けばもう、すぐわかります。音楽本来が持つ、プリミティヴなユーモア。音楽本来が持つ、プレイする楽しみ。楽器の響き。人の声の豊かさ。そして、「言葉で思いを歌う」ことの豊かさ。加藤和彦は、これら音楽の贈り物を、最先端の技術でいまに蘇らせたかったのだと思います。売上を優先してしまえばその瞬間に消えてしまう、音楽の最上の部分を。 

 =音楽を、君を含む僕らが自由に表現できる楽しいものに戻そう。少なくとも僕らはそうするよ。フォーク・クルセダーズは= 期間限定の再結成には、こんなにも大きなメッセージがあったのですね。 加藤さん、きたやまさん。やはりあなた方は、未だに日本のPOPの頂点にいます。その、良心を持って音楽を作ろうとする姿勢において。その事が、僕にとってどれほど嬉しい事か、おわかりですか?