1993-96 ロックの子どもたち

 
91年に衛星放送を受信できるようにして、それからの7,8年は、僕の音楽情報はFM802と衛星放送から聞こえてくるものが中心になった気がします。それまでは雑誌やストリートからのものが多かったのですが、特にFM802の試験放送から数年くらいは、まさに聴きたかったラジオの形態がそこにあった気がして、良くかけていました。BSのWOWWOWも、試験放送でサウス・トウ・サウスの再結成ライヴを生放送したりして、また、素晴らしい音楽番組「THE RECORDING」などもあったりして、良く見ていました。

 記憶に間違いなければ、94年くらいの日本のシーンというのは、そろそろ70年代に活躍した第一世代のミュージシャンが、アレンジャーやプロデューサーとして円熟してきた時代だったと思います。たとえば奥田民生をソロ・ミュージシャンとして奥の深いアーティストにしたのは、かつてマライヤというバカテク集団にいた笹路さん。 かれは奥田民生に、単にいい作品を作る以上の、音楽を職業にして一生を送るためのキャリア作りまで含めたものを伝授して行きます。数年後、その事が奥田民生のソロアルバムやパフィーのプロデュースという形になって現れます。

 かと思えば、あくまでミュージシャン志向の強いベテラン達のライヴが再び活発化してきたのもこの頃からです。僕はこの頃、大塚まさじさんや有山さんのライヴを数回地元で見ているし、まさじさんとは一緒にプレイもさせてもらいました。そのライヴのあとで、まさじさんは「何か最近、かつて僕等を聞いてくれていた人らが、新しい場を作って良く呼んでくれるんや。80年代よりやりやすくなってきたわ。」とおっしゃっていました。 このことでもよくわかるのですが、その頃の世の中は、バブルが完全にはじけたことが世間に広がって、かつて「イカ天」で登場してきたような、実体のないバンドがどんどん淘汰され、もっとしっかりした音楽を作っているミュージシャンが再び注目され始めた頃でした。…ちょっと面白くなってきてるんちゃうか、特に若い子達の音楽の聴き方が。 そう思い始めていました。

 また、90年代前半には、かつての名盤のCDでの再復刻が、もはやブームではなく、確固とした一つの世代の代表的音楽として安定してリリースされ始めました。URCやベルウッドの再発は、会社を変えながらも現在でも僕等に供給されていますものね。

 この頃の象徴的なバンドが、ウルフルズです。88年にオオサカで結成されたこのバンドは、95年から96年にブレイクするのですが、その異常なくらいの長い下積みというのは、バブル全盛時代にホンモノだからこそ相手にされなかったとしか思えないのです。 彼らを知ったのは、たしか95年。BS11の「真夜中の王国」かなんかで、最近ライヴハウスで盛り上がってるバンドとして紹介されたのでした。そのときになんと大瀧さんの「福生ストラット」を自分達の感じに変えて、オオサカストラットとしてトウキョウのライヴハウスでやってる。それが盛り上がってる。このことにちょっとしたショックを感じたのでした。

 かれらは、僕にとって、初めて「POPSを体験じゃなくきちんと学習してきた若いミュージシャン」でした。こいつら、ブルーズ・ソウル・ロックをヨーク知ってるなぁ、だれかすごいブレーンがいるのかなあと思いましたもんね。 そのときは、これ以降そんなミュージシャンが沢山出てくるなんてうれしい事になるとは思いませんでしたけど。
 
 94・5年といえば、クラブミュージックが盛り上がってたように思います。それはまさに70年代の黒人音楽、なかでも昔「ニュー・ソウル」と呼ばれたカーティスメイフィールドやフィリーなどのサウンドを起こしたものに近いグルーヴで、テンポも一時のような速いものではなく、70年代のタイム感のものでした。そんな中から日本でもソウルが大好きなオリジナル・ラヴみたいな人達や、フリッパーズ・ギターが浮上してきましたが、ウルフルズは彼らのまいたソウルムードを、もっとわかりやすく・決定的に、広い層の人達にばら撒いたといえるでしょう。

 音源をきちんと聞いたのが3RDアルバムでしたから、あんまりエラソウなことは言えないのですが、このアルバムを最初に聞いたときに思わず「ヤッター!」ってドキドキしながら思っていました。それは、ついに、ついに、大衆音楽としてロックの本質を消化した人達が「認められた」と思ったからです。 90年代に入ってから、もう日本のロックからはかなり遠いところにいた僕にまで聞えて来るくらい、「ガッツだぜ!」は売れたし、アルバムのほかの曲にも、ロックの最良の部分が凝縮されてつまっていたことが、すごくうれしかったのです。 はしゃいだり・ビビったり・気弱だったり・ブルーだったり。サウンドはFUNKだったりフォークロックだったりサーフものだったり。それら全部の音が、生き生きしてるし、若い。頭で考えた音じゃなく、踊りながらたたきつけるそれとして、彼らの中にあることが、とてもうれしかった。

 こんな風に、94年から96年くらいに出てきたウルフルズ奥田民生のソロアルバムに、僕は日本のロックが面白くなる予感を持てました。 みなさんはどうでしたか? 

次回は、もう最近のシーンになります。