ロック・コンサートの変遷


黎明期:1966−76くらい

ここで言う黎明期とは、僕の音楽の黎明期でもあるわけですから、1966から1976年と考えてもらっていいかも知れません。この期間に、アメリカではPAシステムの大変革があり、現在用いられてるものの原型が出来、メーカーも出来てきて、大会場に対応した大音量が提供できるようになっていた。

日本では、68年当時は、GSのTV番組でのライヴやコンサートで見る限り、まあしょぼかったなあ。ヴォーカルアンプ+スピーカーを左右に数本。でもこれはまだいいほうで、普通の「リサイタル」なんかでは、会場備え付けの司会用のスピーカーでヴォーカルを拾う。楽器は当然ナマ。大体、ヴォーカルアンプなんて、今の若い子は見たことないでしょ。縦に細長いスピーカー。簡単なミキサーとアンプが箱のようになってる物でした。

ビートルズが66年に来日した時のフィルムがありますよね。あれ、ブドーカンですよね。でもPAがないでしょう?世界最先端のバンドでも、66年はあんな物でなんと最大6万人を前にプレイしてた。リンゴはそんな状況を「聴衆の騒音が全てを沈めるんだ。」といいました。当たりまえや。だってPAなんてない中であの嬌声やもんな。それで嫌気が差し、ツアーを止めて、レコーディングにうちこんだのですから、僕らはPAが発達してなくてラッキーだったとも言えます。

でも、日本ではそんなPAというものが有ることが実際に分かったのは、69年あたりからの外タレのロックコンサートが、パッケージごとやってきてからでしょうね。彼らは器材ごとコンサートを製作したのでした。この時期に初めて、本場のロックコンサートの大音量を、日本人は体験します。そして、このシステムを何とか導入できないかと真剣に考え出した最初の一団のなかに、加藤和彦がいました。

また、70年万博でアメリカ・イギリス・カナダ館が持ち込んだPAシステムが、博覧会終了後払い下げられた事によって、大阪にもロックファンのPA屋さんが出来ていきます。これなんか本当にラッキーな事ですよね。この事によって、地方都市としては早い時期に、大阪は大きな野外コンサートなんかが開けたんやからなあ。

なんでPAという、音楽周辺のことから始めたかというと、この装置の発展がコンサートの持つ意味を大きく変えていったからです。まずは、PAシステムが当たり前になる前の日本のコンサートはどんなだったかというと・・・。

 内容に限っていうと、それはそれは幸せな時代でした。
69年までのショボイ装置は、いいところもあった。それはまず、「拡声装置」がしょぼくても上手いバンド・歌手の「響き」はすごかったこと。これはTVの回顧番組なんかで確認してください。つまり、はっきり上手下手がわかる。
また、規模のそんなに大きくないコンサートは、お客さんとのコミュニケーションがちゃんとあり、「客席との一体感」ということば通りの「場」が確実に生まれていたこと。ほら、聞こえてくる音が小さいと、聴こうとするでしょ? あの感じ。そのうち、心の中で音がどんどん大きく聞こえるような気がしてくるあの感じです。

 まあ、何よりあの当時のコンサートは、ウッドストックが示していたように、ロックが提示した「新しい意識」に反応した、「頭の中に新しい意識がある」若いやつらが、自分の生き方を確認したくて集まってくる集会的要素があったから、別にいいサウンドや人工的に快適な会場はあんまり必要ないといったムードが、全体を支配してたみたい。

 芸能プロダクションが介在していない、やるほうも聴くほうもほぼ同じくらいの世代の人達が、ショウアップされていない(=それが当時はCOOLだったから)ステージで、ほぼ着の身着のままで音楽を楽しんでいました。ロックやフォークを聴いて何かが変わった人達が、たまたまステージと客席に分かれて楽しんでいる。だから、お客さんの中からステージに上がっていって歌ったり、学生が演説したり。聴くほうもその状況の変化を楽しんでいる。ステージ上の彼らがプロのミュージシャンなのかどうか、みんなわからないけど、とにかく彼らの「新しい歌」を聴きに・それと自分を確認しに行こうよ、そんな感じが16歳以上25歳未満だった人達の、ロックコンサートの意味だったようです。

 そこに集まってきた人達は、非常に能動的・自覚的な人達でした。僕がよく覚えているのは、中津川フォークジャンボリーのステージを学生が占拠し、中止にしてしまったこと。これはTVでその場面を見ました。それと、73年のストーンズ来日中止が決まったときに、僕と同い年の奴らが東京のコンサート会場前で歌いまくって捕まったこと。 コンサートは音楽会ではなく、「場」であったと、今でははっきりそう思います。僕もよく、いろんなコンサートやライヴを見に行って、その場で隣の人と友達になることがよくあった。始まるまでの間に、いろんな話をしてるんやね。で、終わってから話し込んだり。
みんながこの場に、参加しに来ている感じ。だから、ミュージシャンは崇められてはいなかった。仲間内の冴えてるヤツって位置だったし、野外コンサートでは必ずアクセサリーを売る人達や自分の詩集を売る人などが出てきてた。

これらは全部、「音がそんなにデカくない」から成り立っていた「場」の性質であったということです。
ひどく大きな音は、聴かざるを得ない状況を作ってしまうだけではなく、場を不自由なものにしてしまうと、僕は思うのですが。