番外編 ドメスティック・ジャパン(1)


 あのー、最近、ブランニューなものが音楽の世界から出なくなって久しいなあ、と思ってます。例えばビート。2拍4拍
にアクセントのある音楽は、下手すればもう100年くらい続いているけど、なかなか消えようとしません。例えば楽器。これも80年代初頭の「サンプリング」を最後に、それまでの音楽製作の過程そのものを根底から変えるツールは、停滞中のようです。 あくまで、いい悪いじゃなく、ただ「出ていない」って事ですけど。

 これはPOP MUSICの存在価値が、世の中において変わってきているからだとも思えます。少なくとも僕らの国では、20年前と今とでは、随分価値が変わりました。簡単にいうと、存在が軽くなったというか。 こういう書き方をするとよく、
「それは娯楽が増えたからな。」という人がいます。そうでしょうか。僕がそこいらのニーチャンだった70年代後半には、今出てきているほとんどの娯楽や趣味がもうありましたよ。

 僕が思うに、日本のPOP MUSICをパワーのないものにしつつあるのは、ヤッパリ音楽業界であると言うことです。そこに従事する人達の意識が、はっきりいって時代錯誤なんだと思います。平たく言えば「未だに一攫千金だけを狙う奴ら」がメインの世界だという業界体質が、音楽そのものを弱らせていると言う事です。 これはスペイン・フランス・ブラジルのPOPSシーンをちょっとかじってみればすぐ分かります。 先ず、そこらではベテランの活躍と対抗勢力である若手の反発が、シーン全体を活発に動かしつつ伝統的な「ノリ」は継承していると言う点が素晴らしい。 特にブラジルのサンバというぶっとい幹を主流としたPOPの大きなうねりは、未だ世界に影響を与えながら進化している点で、うらやましいなあと思います。

 何でこんな事書いているかというと、昨日TVで80年代の歌謡曲やバンドが雑多に少しづつ出てくる番組があって、それを見ていたんですが、今流行っているロックやPOPとは、ビートや歌詞やメロディーにおいてな―んにも共通性がないわけですよ。見事にぶった切られているんやね。この事がややショックでね。 まあ、「あー、そうかあ。」とも思いましたけど。つまり、やっぱり日本のシーンは、ある時点から、ある傾向が売れると、全部、本当に全部その要素をいれようとするところが、特に70年代後半からキツくなってきたんやなあという事です。だから10年単位でバックしてみると、まったくルーツが違う音楽があったと。この70年代後半ってのがミソで、それは演歌の衰退と共に始まった傾向だったのです。
つまり、若いスタッフが、自分のいれこんでるアーティストを売るために始めた「ルーツ斬り」だったのです。

 僕、日本のPOPシーンは、1950年から70年くらいまでが、現場サイドでは一番面白かった時代やろうな、と、最近では思ってます。それはまさに、ブラジルでは今でもある新旧の拮抗が生む活力が、その時代の特に東京を中心とした音楽の現場にはあったからです。特に、ビートルズの音楽が入ってきた64年以降70年くらいまでの歌謡曲は、そういった拮抗がはっきり作品としてレコードになっている気がします。それは、演歌にもPOPSにも。

 面白いのは、そのころの演歌・POPの世界どちらにも、クラシックをいっとき真剣にやってたような、あるいはJAZZを突っ込んでたような、深い素養のミュージシャン・作曲家が多いのです。きちんと音楽を探求した時代をもった、愛情あふれる音楽作りが、まさに現場主導・ライヴ主導で行われていたようなのです。端的な例が、クレイジー・キャッツです。彼らは、天才放送作家青島幸男東京芸大出のアレンジャー・萩原哲晶、日本TVの敏腕ディレクターなどをブレーンに擁し、
米軍キャンプで培ったショーマンシップあふれる・きちんと演奏するJAZZと、そのころのブランニューなメディアであったTVを駆使して、ものすごく新しい笑いと音楽の感覚を、演歌をまったく切り離したところで日本中に広めました。

 僕が彼らの「スーダラ節」を聞いたのが、6歳のとき=1963年。「ハイ それまでよ」はもう少し後かな?格好よく
いえば、これは50年代アメリカの子どもがコースターズを聞いてブットンだようなものだと、少し自慢したくなります。
コースターズのアルバムが、今聞いたらキング・カーティス以下当時のアトランティックレコード最先端のニューヨークサウンドで、ビートの切れなんか寒気がするくらいすごいのと同様に、クレイジーサウンドもものすごいのです、今聞くと。特にアレンジが。 ワールド・ワイドであると断言できる質の高さです。そういえば、一連の坂本 九のヒットもこのころですね。こちらも、バタくさいことにかけては負けてない。なんせ、ビルボードNO.1やもんね。

 かと思うと、一方の演歌でもヒバリさんを筆頭とする分厚い層の歌手軍団が「主流」として歌謡界に君臨していました。
そう、音楽製作の図式がものすごくはっきりしていたのです。権威対新興。年より対若手。ラジオ対TV。どちらも、お互いにはっきり敵対して、しのぎを削っていたというか。だから、JAZZ出身の、あるいはクラシック出身のアーティストが演歌をやりだしたら、それは一種の敗北であり裏切りであるという風潮が、ハナタレの僕らにも伝わってきましたもん。

 まあ、両勢力のどちらに属しているとしても、共通していたのはその音楽のレベルの高さです。むちゃくちゃ上手いのです、楽器にせよ歌にせよ。うそだと思うなら、なんでもいい、1960年代のGS以外の歌謡曲のCDを聞いてみてください、好き嫌いは別にして誰にでも分かるくらいのレベルで「うわー!上手い!」ってのがどこかにありますから。 それは、音楽製作に携わるもの全員の意識が、今とは比べ物にならない位高かった事に起因します。つまり、「プロとアマチュア」が歴然としていた事でもあります。 こういったレベルの高さは、米軍キャンプでのライブやレコード会社専属作家制度が持っていた「徒弟制度」によるものであろうとも思いますが、一番の動機は、演歌対POPSという勢力争いではなかったかと思うわけです。

 ただねえ。いち子どもリスナーだった僕には、ロック以前の日本のシーンも、面白かったですよ。親が音楽好きだったので、例えば雪村いづみとか江利チエミとかのPOPSものがどれだけすごかったかも知ってるし、かたやヒバリさんの天才的な歌の上手さも知ってるし、西田サチコさんのJAZZ風味も知ってる僕としては、あのころの日本のシーンのレベルは、強力だったと、今では素直に思います。 ザ・ピーナッツなんて、ほとんどもうゲテモノに近い上手さやもんね、今聞いても。


 皮肉にも、今書いた20年くらいのシーンは、ウッドストック以前なのです。つまりロック世代以前なのです。それを思うとねえ…。なんとも複雑な気がします。そう。今のつまらないシーンを作っている中核のスタッフは、かつてロックに洗礼を受けた人達なのですからね。 

 うーん。この辺の話は、もう少し自分なりに整理してみて、またいつか書きます。あくまでも、僕の知ってる範囲で。