77年から78年

 この年は、自分にとって大きな転機があった年なので、あまり俯瞰した状況をかけるとは思えませんが、できるだけ大きな動きを視野にれつつ、はじめてみようと思います。

 「何か違う空気」が入ってきたのは、たぶん夏前に知り合った地元京都のバンドのやつらから感じたものでした。そいつらは、もう当髪の毛がパンクで、でもアロハシャツを着ていたりする変な感じだったのですが、そのうち輸入盤屋さんにそいつらの髪のようなバンドのジャケットがガンガン並びはじめました。 そう。 パンクロックの台頭です。

 ダムド、クラッシュ、ピストルズ・・・。彼らのまずビジュアルセンスが街に流れ始めました。先覚的なロックファンは飛びついていたみたいですが、僕らはまだ何か良くわからんかったから、ちょっと様子を見てたところ。でも、音楽のかっこよさはわかりました。面白かったのが、その頃の「若くないロックファン」は、大体レゲエやサルサ・サンバなどエスニック系に流れるかフージョン系・AOR系に流れるかで、パンクに飛びついたのはもっと若い層であったこと。僕はいろんな友達と大量に音楽を聴いていた時代だったので、別に偏ったりはなかったと思う。 まず、洋楽のトレンドはそんな感じ。
 
 国内では、前回も書いた大規模なコンテストからのスターがこの年から出始めます。まずはツイスト。実はこのバンドは、ヤマハのPOP−CONで一緒になったのでした。で、関西決勝大会に彼らは「あんたのバラード」で僕らの1つ前に出てきました。それまでのPOP-CONでは絶対に受け入れられない泥臭いロック。だから、「フーン。こんなのが関西決勝にまで来るんやなア。」とその時は思ってたのが、ここでグランプリをとってしまいます。今から思えば、YAMAHAはスターを作ろうとしたのでしょうね。

 で、その夏にホントびっくりしたのがサザンの「勝手にシンドバット」をはじめて聞いたとき。これはパチンコ屋さんでした。思わず店を出て友達に電話して「レコード屋、行こう!」とシングル盤を買いに行ったのでした。売り切れてたけど。これはホント、凄いショックでした。  それまでの日本の歌は、やっぱり僕らにとっては「お兄さん・お姉さん」の観点での歌だったことが、逆に良くわかった、この曲聴いて。つまり、演奏から日本語歌詞から好きなバンドからほとんどあらゆることがどんぴしゃ同世代の初めてのバンドだったのです、サザンは。で、プロフィールを知るとやはりそうだったという。もう、考えてることの一部まで解かるかんじだった。

 だから余計に「こんなやり方で来るか、クソー!」っていう出し抜かれた感じが爽快だったし、悔しかった。同時に「いよいよ同じ世代というより同い年のバンドが世に出た」という焦りがあった。だから僕は今でもサザンには特別な思いがあります。レコードは1枚ももってない。でも、桑田圭祐という人の動きは、いつも気をつけてます。そうせざるを得ない出会いが、この年にあったのでした。

 後は・・・そう、原田真二くん。彼は僕のバンド仲間の友達で、この年の秋から冬に驚異の3連発ヒットを飛ばしました。その、2枚目のシングルが出た頃に広島で彼に会いました。ポール・マッカートニーが大好きな2才下の彼は、根っからのミュージシャンでピアノがむっちゃ上手かった。

 こんな感じで、例の「ロック御三家」と呼ばれたうちのCHARをのぞく2組とはこの年にたまたま出会ったのですが、それまでのミュージシャンたちとは違った感触が音楽にもありました。それは、今まで少し上の世代が作っていた音楽よりも、もっと自分寄りの思考で作ったものであったのです。だから、僕は彼らの音楽については、好き嫌いがいえない。構造が良くわかるから。 

 ただ、びっくりしたのが、彼らの音楽はものすごく売れたのでした。ちょうど初代「ザ・ベストテン」がオンエアされ始めた年で、その音楽番組の斬新さと彼らのスタイルはよくマッチしてました。POPというか、少し奥行きは浅いけどカラフルなロックよりのPOP。同時に他方では、

例えば達郎さんはこの年に僕の大好きなライヴ盤「IT'S A POPPIN' TIME」で、その音楽性の高さを見せ付けていたり、憂歌団は例の「生聞 59分」でそのライヴをついに全国に披露したりと、バンバンいいアルバムも出続けた年でした。

 そういえばAORと呼ばれた、ヴォーカル主体のアメリカンロックがブレイクしたのもこの年でした。ネッド・ドヒニーハードキャンディというアルバムやボズのシルク・ディグリーズなんかは、おしゃれな喫茶店では絶対にかかってた。僕らはそのバックメンたちに注目していました。そんな流れからブラザース・ジョンソンやTOTOを知ったもんね。いや、もちろんフージョンはブームでしたから、スタッフやクルセイダーズ周辺の人たちのアルバムはもうどこに行っても流れてたけど、77年くらいになるともう自分の中では排除しにかかっていました。だって熱くないから。そう思っていたときにキング・カーティスのライヴを聴かされて、WATTSTAXを聴かされて、僕自身はソウルにのめりこんでいったのですが。

 やっぱり、77年は個人的な動きが激しかった年なので、全体を見渡していなかったと思います、ここまで書いて。まあ、どのみちこのページ自体が個人的なもんなんでいいのですが。

 昨日、TVでサザンの最新曲のプロモやってたんですが、やっぱりそのヴィデオは彼らの表情を集中してみてしまいました。みんなもう43歳以上。そんなおっさんらが、どんな顔をしてプレイするのかと思ってたのですが、確信をもって音楽をしている顔で、とても安心しました。そこまで気になるのはこの年の暑かった夏に出会ったあの衝撃があるからです。 がんばれ、サザン!