番外編:歌が届くところ

 このところ、なんか日本人の歌を真剣に聞くことって少なかったのです。ほら、歌詞を真剣に感じてしまう「重たさ」ってあるじゃないですか。あれから、今は遠くにいたいなあって気分だったから。それに、ラジオになかなか好きな歌い手が出てこなかったのもあります。新人も、今までの人も。 

 今日の午後からは休みにしていたから、久々に午後の時間が出来て、車で金森幸介さんの「箱舟は去って」を聞きながら買い物に行こうとしてたら、思わず言葉がバシバシ耳に飛び込んできて、大型電気店の駐車場に入って、しばらく聴いていました。

 このアルバムが出たのは、75年初頭だったか。後にお医者さんになる、当時は大学生で僕らの近所に住んでた人と弟が友達になり、その彼が幸介さんの音楽仲間であったので、前から「出る」とは聞いてたのですが、そんな期待していなかったのです。前にもどこかに書いたのですが、74年当時のフォークシーンは、歌よりもルックスやトーク主体のメディアになりつつあったし、そんな人達の音楽には何も感じなくなってたから。 でも、このアルバムはそんな偏見をふっ飛ばす質のものでした。言葉が、重かった。それは、かつて夢を持って暮らしていた人が、挫折を感じ、その経験から歌われる言葉のように思えました。

 あれから26年。このアルバムは、未だに2年に一度くらい、集中的に聞きます。そう、2日間に3回くらいって聴き方。それは、僕が「僕らの音楽」と思っていた、当時の広義のロックの持っていた「素直さ」や「抗い」や「アウトサイドにたつ姿勢」や「仲間意識」などの考えかたの部分が、このアルバムには歌われているからです。18歳のアンテナに引っかかってきた彼の音楽には、嘘がなかったように思えましたし、今でもそう思います。

 重い言葉が沢山出てきます。でも、あの時代の中でしか分からない重さの言葉もあります。「失うものなど 何もない すでに僕らは 失われた人々」と言うのは、音楽が・新しいライフスタイルが職業にならなかったあの頃の同世代には、すごい説得力であったと思います。

 2002年にも、またこのアルバムを聴きたくなったのは、このアルバムが持っているナイーヴさのせいだと思っています。よく一人でライヴのときにこのアルバムの中から「もう一人の僕に」を歌いますが、いつ歌ってもお客さんがシーンとします。それはきっと、この曲の持つ、いや、20台の幸介さんが持っていたナイーヴさが、時間を越え、人の心を打つからでしょう。

 歌が届くところ。それは時間や場所を越えた、誰かの心。 そんな、あったりまえの事をまた思い出しました。