村上”ポンタ”秀一

昨日、数時間かけて、図書館にあった「自暴自伝ー村上”ポンタ”秀一」を興奮のうちに読みました。ポンタさん自らが語る生い立ちからこれまでのキャリア、そして今後の抱負。71年から34年間、日本の音楽をぶっとい柱になって支えてきたドラマーの、素晴らしい半生記です。

 大ドラマー・ポンタさん。彼や大村憲司さんが70年代初頭に登場してからの日本の音楽産業は、大きく変わりました。それは、まさに業界の世代交代とも言える規模での巨大な変化になり、それ以降の音楽製作は全く新しい意識と作業工程で行われることになったのです。

 上限を細野さん、下限を達郎さんとする世代が、それまでとはあらゆる点で価値観が違ったのだと、この10年ほどで痛感しています。その世代は、少なくとも音楽を享受することに関しては特殊なのです。その特殊性においては、あらゆる社会現象から説明しなければいけないのですが、際立った背景だけをここで羅列してみると・・・。


・日本被占領期間 1945〜1952 空前のジャズ、カントリーブーム
・1956 プレスリーがメジャー大ヒット→細野さん8歳
・1960 池田隼人「所得倍増計画」 高度経済成長の始まり サラリーマン初任給 12000円
      (1970年の初任給は50000円) →細野さん13歳 ポンタさん9歳
      安保闘争での大学生の死
・1964 ビートルズアメリカ上陸、東京オリンピック、海外渡航の復活で留学生が欧米に
      ベトナムの映像が全世界に 反戦運動の激化
      →細野さん17歳、ポンタさん13歳 
・1966 ビートルズ  日本公演    →細野さん19歳、達郎さん13歳 
・1967 衛星中継放送のTVでの実用開始
・1968 18歳から20歳の交通事故死激増、免許改正に
・1969 国際反戦デーでの、学生の新宿駅占拠 

参考WEB : http://www.env.go.jp/policy/hakusyo/honbun.php3?kid=216&bflg=1&serial=13164


 とにかく、「今までになかったワクワクするモノ」が、世の中に毎日加わっていくわけです。それは自家用車・学校のプール・洗濯機・休日・個人用のラジオ・テレビ・高速道路・海外留学・西洋の「ほんものの」お菓子など、大人のワクワクも巻き込んで生活の中に加わっていく、と。受け入れる大人たちも、戦争がどうのこうのといっているよりも、下手したら毎月上がって行く所得のほうが気になるわけです。日本の60年代は、こんな気分が蔓延していたと思います。

 そこに持ってきて、義務教育の時間数は、日本史上最高になります。つまり、60年代に少年少女であった人たちは、親の戦争への反省からの平和主義・民主主義と、復興の延長からの楽観的未来観、それに高い教育を与えられた、いままで日本にいなかったタイプの人たちです。こう考えると 北山 修が「戦争を知らない子供達」と自分達の世代を呼んだ事は良くわかります。世代を区切りたかったのでしょうね。

 さらに、メディアの発達が世の中の劇的な変化をすぐに伝えられるほどには発達していなかったことや、外貨がまだまだ強いことで海外にはそうそうカンタンに渡れないことが、この世代の人たち独自の「想像力=創造力」をもたらします。

 この世代の人たちの楽観主義は、結果だけをみれば、時々あきれることがあるくらいです。情熱からの行動であれば、あとは現地で勉強すれば何とかなる が前提の、無謀な行動がいたるところであったように思う。たとえば、中津川に行くのにヒッチハイクで女の子1人で動いたり、大学を3日で辞めたり、世界放浪に出て帰ってこなかったり、大学を占拠したり・・・。自分たちが最高だ、と思っているその振る舞いは、なにもロックの世界だけじゃなく、当時の若者に共通した特質でしょう。

 ちなみに、僕が中学2、3年生だった頃=1971年には、世の中を変えてしまうほどのものは、ほとんど出揃っていました。リアルタイムでワクワクしたモノというのは、その後はパーソナル・コンピューターまで出てこないように思います。それくらい、彼等の世代の日本の変化は激しく、輝いていた。「未来はあかるい。何でもできるし、手に入る。」・・・そんな気分が国にあっても不思議じゃない。

 「僕が知ってる日本のロック」に頻繁に登場する70年代の人たちは、ほぼ全員この世代の人です。そして、この世代のミュージシャンだけが、本当の意味で「世界レベル」を見たのです。それは、「練習すればいつか世界に届く」と信じたり、「世界を知るには、その現場にとびこんで修行する」といった行動をとったりできる楽観性を、情報が少ない分持てたということです。そして、彼らは本当に練習して、世界に通用するミュージシャンになったのです。

・・・・ずーっとここまで、ポンタさんの事を書かずにポンタさんの世代を語っていました。でも、ポンタさんや大村憲司さんを理解するには、世代の特殊性は絶対に知っておかないと、なぜ彼らが物凄い練習をこなしたのか分からないのです。彼らは何になりたかったのか。それは、「世界に通用するミュージシャン」です。ポンタさんたちはこの言葉を、物凄い重みを持って感じていたと言うことですね。POPの全ジャンルにおいて、どんな時代の音楽であろうが叩けるドラマーを目指したことが、この本を読むと良くわかります。
「世界でやろうぜ!」とケンジさんに言われて、ここまで深く捉えられるイメージ力の高さ。これこそが、この世代の最良の部分なんだと、ポンタさんも言っています。

 ここで小出しにするには、あまりにももったいないエピソードが満載です。この本を一通り読むと、特に70年代日本の先端ミュージシャン達の起こした変革の大きさや、バンドマン(ドラマー)として歌をどう捉えるのか、歌手とはどんな人たちなのかなど、いくつもの大きなテーマに対するポンタさんならではの答がありますが、何よりも大きく浮き上がってくるのは、ポンタさんや憲司さん、松木常秀さんたちの「音楽屋」としてのココロザシの高さです。

 音楽を愛する人、ぜひ読んでみてください。ガラ悪いけど、ここには真実がたくさんあるから。