0-01-01から1ヶ月間の記事一覧

番外編:歌が届くところ

このところ、なんか日本人の歌を真剣に聞くことって少なかったのです。ほら、歌詞を真剣に感じてしまう「重たさ」ってあるじゃないですか。あれから、今は遠くにいたいなあって気分だったから。それに、ラジオになかなか好きな歌い手が出てこなかったのもあ…

77年から78年

この年は、自分にとって大きな転機があった年なので、あまり俯瞰した状況をかけるとは思えませんが、できるだけ大きな動きを視野にれつつ、はじめてみようと思います。 「何か違う空気」が入ってきたのは、たぶん夏前に知り合った地元京都のバンドのやつらか…

番外編 ドメスティック・ジャパン(1)

あのー、最近、ブランニューなものが音楽の世界から出なくなって久しいなあ、と思ってます。例えばビート。2拍4拍 にアクセントのある音楽は、下手すればもう100年くらい続いているけど、なかなか消えようとしません。例えば楽器。これも80年代初頭の…

76年 カネの匂い

76年といえば、第二次オイルショック。それと、記憶が正しければ、田中角栄のロッキード事件からの逮捕。これらの事件で、73年のオイルショックやアメリカのウォーターゲイトからの、経済の停滞・政治家への不信がより強くなり、ただでさえ連帯感が薄まって…

75年 京都2

75年をもう少し続けます。6月から夏までにその後の日本のPOPを大きく変えていくアルバムが数枚出ました。 まずはシュガーベイブ。これは、レコード紹介のところにも書いているように、1曲目のSHOWが始まったところからのコードや歌が、それまでの日本の…

アツイPA屋さん

70年代には、アーティストに惚れて採算度外視で自分の持っている装備やノウハウを惜しげもなく投入するPA屋サンが、特に地方には多かったのでした。代表は、上田正樹さんに突っ込んでいったMOBという大阪の集団。藤井兄弟が主催していたこの集団の、お…

75年 京都

ここからは多分に自分の経験からみた話が多くなると思います。 僕は当時18歳で、大学生として京都にいました。いろいろなところで書いてきた体験は、すべてここから始まったと思うくらい、自分の音楽体験そのものがまったく新しい次元に入りました。 当時…

番外編:細野晴臣&矢野顕子

さっきから繰り返して聴いているのです。ちょっと前にNHK「トップランナー」であった、この二人の共演ライヴ。 ご存知の方も多いと思うのですが、矢野顕子さんは、70年代の細野さんの、ソロ・アーティストとしての大ファンです。ずっと前から彼の曲を一人…

74年 地方の隆起

かなり後から知ったことも含めて、74年当時の京都や地方都市はどんなだったかを想像してみたいと思います。60年代後半のカウンター・カルチャーのメッカ・アメリカのウェストコーストのヒッピー達の間では、早くから京都は「旅の中継点」であったようです。…

番外編:奥田民生を見た

といっても、今日のTVで、ROCK IN JAPAN2001やったかな、あれのセットで見たんですが。やっぱりあいつはかっこいいと思いました。僕の記憶ちがいでなければ、ドラムは古くはカルメンマキ&OZ・最近では佐野元春のバンドでたたいてる古田…

73年 停滞

そろそろ73年に行きましょうか。冒頭からなんですが、この年はホンマ自分的には面白くなかった年でね。まず、アメリカのロックに新味がなくなったし、ヒット曲もなんか面白くなくなってきていた。エルトン・ジョンの「ダニエル」ってあったでしょう?僕、…

アーティストを見つづけること

いつの頃からはもう覚えていないのですが、たしか80年代のはじめくらいだと思います。僕は、細野晴臣さんというアーティストを、一生追いつづけようと決めたのでした。そう、自覚的に決心したのでした。それは、その当時までの彼の足跡や、その当時のリア…

72年のムード

72年ごろの、新しい音楽の情報は、「ニュー・ミュージック・マガジン」と「新譜ジャーナル」と「GUTS」という雑誌でした。ところが、和歌山の本屋さんには他の2冊は割とどこでも売ってても、「ニュー・ミュージック・マガジン」は宮井の本店に毎月5冊し…

番外編:雑誌のつまらなさ

70’Sにロックに反応した世代と80’Sにロックに反応した世代では、音楽へのアプローチの仕方がぜんぜん違うように思います。それは、日本のロックがビジネスになる前の、正直なメディアであったことを知っている世代と、そうじゃない世代の違いからくる…

隣のニーちゃんのうた

で。72年です。この年に僕は高校1年になりました。入試の合格発表の日に、ストーンズの「ハイドパーク・コンサート」がNHKのヤングミュージック・ショーであったので、合格を確認してすぐにそれを弟と2人で熱狂して見ていました。当時のストーンズは、ミ…

番外編:メディアとしてのレコード

1975年の6月初め。京都にいた僕は、河原町の輸入盤屋さんで1枚のアルバムを買いました。980円でした。タイトルはBEST OF THE BEACH BOYS VOL.2 。その前に本屋さんでいろいろ立ち読みして、ティンパンアリーのツアーがあることを知り、チケットの入手方法(…

普通の気持ち

71年、僕は中学3年生でした。クラブ活動でキャプテンをしていたので、夏の大会が終わるまではそんなに時間が無かったのですが、特に前の年くらいから日曜日で試合の無いときは、おじさんのうちかレコード屋に入り浸るようになってました。おじさんは当時の地…

番外編:アカペラ

いやあ。やっぱりハモネプは面白いですね。今日。ゴーゴゴーあったので録画を見ましたけど。もちろん、出場するバンドのコーラスワークも楽しみなんですが、彼らがどんな風にアカペラを捉えているか、に興味があるのです。 難しいことはあんまりいらないけど…

街の歌が流れる

ロックを自覚的に聞き始めたのが69年だったので、70年からラジオっ子になっていた僕には、もう一つ書いておきたいことがあります。それは、日本のロックについてです。なぜ何年という年にこだわるかというと、この辺の1年内の変化が、ロックにとっては…

番外編:参加する音楽

ロックって言う音楽は、たとえそれが生ギ1本で演奏される曲であっても、「聞くという行為」で、聞き手が参加していく音楽です。お客さんは、だからどんな小さな音で演奏される音楽においても、「いいぇーい」と言っていい。そう。積極的に聴きにいく姿勢のあ…

番外編:ラジオ(1)

キヨシローの「トランジスタラジオ」という曲の中に「ベイエリアから、リバプールから、このアンテナがキャッチしたナンバー」っての、あったでしょ。 あれ。まさにあんな感じで、60年代から70年代の中頃までは、AMラジオでも平日のお昼から夕方でも、…

新しい歌が聞こえ始めた

フォークについて書いてみようと思います。 僕が小学校5年の頃、ラジオから変な歌が流れてきました。「おらはしんじまっただー」ってあれ。ものすごくびっくりしました。これが確か67年の冬です。その頃は、グループサウンズの奇妙なカッコウや、GO−G…

番外編:ラジオ(1)

キヨシローの「トランジスタラジオ」という曲の中に「ベイエリアから、リバプールから、このアンテナがキャッチしたナンバー」っての、あったでしょ。 あれ。まさにあんな感じで、60年代から70年代の中頃までは、AMラジオでも平日のお昼から夕方でも、…